定期借家契約というリーガル・セックスアピール

1万人が怒りの声を上げた『ベルク』立ち退き騒動とは?(日刊サイゾー)
「ルミネ側が提示した新しい契約とは、一定の契約期間が満了すれば貸主がテナントを自由に入れ替えられる「定期借家契約」と呼ばれるもの。それまでの賃貸借契約では、特別な事由がない限り、貸主が契約更新を拒否することはできなかったが、不動産、とりわけショッピングセンター業界の強い希望に応えるかたちで00年に行われた借家借地法の改正により可能になった契約形式だ。まだ一般にはあまり周知されておらず、実際、それを知らずに定期借家契約に結び直した結果、契約の更新はもちろん、再契約できずに、泣く泣くビルから出て行った店もあるという。事前にそうした話を耳にしていたベルクが、ルミネ側から求められた契約の変更を拒否し続けたところ、立ち退きを求められた──というのがコトの経緯だ。」

 

1999年の米国政府による規制改革要望書、住宅項目1-Aをご覧下さい。


日本における規制撤廃、競争政策、透明性及びその他の政府慣行に関する日本政府への米国政府要望書

住宅

1.土地利用政策

「1-A

日本は、2000年12月31日までに、定期借家制度を導入するために、借地借家法を改正するべきである。改正の内容には、自動的建物賃貸借契約の 更新の廃止(第26条)、建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件における「正当の事由」の廃止(第28条)、借賃増減請求権の廃止(第32条)が含まれる。」

 

平成11年末、「良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特別措置法」、通称定期借家法が成立しました。

そしてその定期借家法の成立を受け、借地借家法38条は次のとおり改められました。

「第38条

期間の定めがある建物の賃貸借をする場合においては、公正証書による等書面によって契約をするときに限り、第30条の規定にかかわらず、契約の更新がないこととする旨を定めることができる。この場合には、第29条第1項の規定を適用しない。」

ここで無効にされている30条、29条とは、賃借人を保護しようとする条文です。

それまでの旧借地借家法によれば、借家人は正当な事由がなければその契約継続を打ち切られることはありませんでした。

いわゆる正当事由借家契約と呼ばれるものです。

しかし新38条の登場で、借地借家法には「期間が終われば問答無用で明け渡す」定期賃貸借という新しい契約形態がはめ込まれることになりました。

ところでそもそもなぜ、米国不動産賃貸借における estate for years、すなわち年次賃借契約のような非常にドライな不動産契約類型が、それまで借家人保護志向型であったはずの旧来の借地借家法へ挿入されることになったのでしょうか。

もちろんひとつには、旧借借法の賃借人保護精神を逆手にとった、不道徳な賃借人が居座る不健全な状況を改善できるという面が指摘されています。

しかしながら別の角度からはっきり見えるのは、賃貸借契約の終了時期がはっきり読めることによって借家の修繕、改築という建築産業や、賃貸不動産に投資する投資家達にとって、物件を数字として読める予測可能性を彫り込むことに成功しているという点です。

実際、米国通商代表部が2000年に発表した公文書、「外国貿易障壁報告」には、次のような記述があります。

「1999年10月の日本に対する規制改革要望書で、住宅に関する米国の提案は、質の高い賃貸住宅および中古住宅・改築市場の発展を妨げる法律、政策、手続きに焦点を合わせた。こうした構造的な欠点を是正することにより、日本の住宅市場は大きく拡大し、米国の供給業者にとって新たなビジネスチャンスが生まれる。例えば、米国は、日本が賃貸借に関する法律を見直すことにより、家主が物件を保守・管理・改修する金銭的誘因を提供することを提案した。これを受けて日本は借地借家法を改正し、建物賃貸借契約の自動更新を廃止し、賃借人が退去要請や賃貸料値上げに抵抗する権利を制限した。2000年3月1日に発効したこれらの改正により、日本は初めて質の高い賃貸住宅市場を整備し、家族向け住宅の選択肢を拡大し、国内外の建築業者・供給業者に対し膨大な機会を創出することが可能となる。」

冒頭にある「規制改革要望書」とは、米国政府が毎年10月公式に通達する意思表示であり、そこには各産業の分野ごとの日本政府に対する改革要求が並べられています。

そしてその1999年度版では、住宅の項目1-Aにおいて、旧借地借家法の条文まで指定して日本へ期日内での定期借家制度の導入を確かに要求しています。

顧みれば実際、2000年3月をもって借地借家法は木材供給産業にとってよりセクシーな形に改正されてたのだというわけです。

これらは関岡英之氏が著作「拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書) 」のなかで、各産業の規制撤廃の背景には、米国政府から日本政府へ要求される「年次改革要望書」がまずあるのだと、指摘しているところです。

 

定期借家契約という新制度は、それまで与えられなかった強いイニシアティブを賃貸人側に与えるものであり、確かにそれによって、旧来の借地借家法では解決できなかった諸問題を一掃できることは間違い在りません。

しかしながらたとえば、旧来の正当事由借家から定期借家への切り替えが行われる場合に、その事情をよく理解できない賃借人が、新しい法的立場を理解できないまま定期借家契約に入ることも十分予測されています。

そしてそれは、法律行為としてとてもアンフェアです。

実際、定期借家法附則3条が、居住する借家ではこの切り替え自体を「当分の間」認めないとしています。

ただし事業用借家においては、このブレーキが効いていません。

新宿の小さなビア&カフェ、ベルクが「定期借家契約」という、家主の立場が強烈に強くなる契約を面前に困窮しているのは、こうした法改正が背景にあるといえます。

いや正確にいえば、小さなカフェが困窮している真の背景とは、グローバルスタンダードという名の大きな津波を見つめるわたしたち自身の態度にあるのかもしれません。

いずれにせよたとえ事業用の借家であっても、ビジネスだからしょうがないとしてしまえるかどうかは、わたしたち自身の頭でよく考える必要があります。

もし法廷で争われたなら、「事業者に突然もたらされるその不利益を補完するものが借主から与えられない限り、契約の切り替えは発生しないのだ」という法的解釈さえ可能だからです。

実際、弁護士・ニューヨーク州弁護士である小澤英明氏も、論文「定期借家法に関する考察」において以下のような憂慮をされています。

「・・・なお、心配なことがある。それは、零細な店舗賃貸借である。特に日本の場合は、徒歩による客が多くを占める店舗が今なお多いから、代替店舗を容易には探せないという問題があると思う。私の経験では、住宅よりも店舗で賃貸借の終了が深刻な問題となる。継続的取引関係解消の法理は定期借家に安易に適用されるべきではないが、店舗の場合は、顧客拡大に長年その場所で投資しているという側面があるため、長期の賃貸借を終了させる場合は、6か月前の通知というのでなく、もっと長期の事前通知を規定すべきではないかと考える。このことも旧案を見た段階で私は主張したが顧みられなかった。」(定期借家法ガイダンス―自由な契約の世界へ

つまりここでは、より長期の事前通知という保護措置が提案されています。

いかに一方で契約自由、言い換えれば自由経済の要請が高かろうとも、他方でジェレミ・ベンサムいうところの「最大多数の最大幸福」もまた、未だバランスをとるべき重要な法益であるはずです。

むしろ確か、法哲学とはそうした利益衡量のために発達してきた技術論だったはずです。

衡量という視点から見れば、剥き出しの賃貸人保護を推し進めていくことが、それほど社会に最大幸福をもたらそうとは考えられません。

それまで日本の不動産契約では、問題解決は互いの良識に任せる部分が大きく機能してきたはずです。

だからこそというべきか、定期借家法という黒船は日本全体のそうした部分に対して、今後完全な契約社会型の行動を要求する布石となっていきそうです。

小規模な店舗を賃借する人がその大波を防壁するには、契約の更改に際して仲介会社や弁護士に協力を乞うなど、冷静な対応策が新たに要求されることになってきます。

いまやわたしやあなたは、やがて知ることになる「完全に契約自由な社会」の味が、砂の味ではないことを祈るしかありません。