乖離という脱出ポッドに乗って、彼女は帰らない旅に出た

損害賠償提訴:福岡の中3女子「小学担任の暴言で障害に」(毎日新聞)
「4日付の訴状などによると、担任の女性教諭は生徒が小学5年だった04年4月以降「口の開け方がおかしい」「トロい」などの発言を繰り返した。生徒は同年2月に、てんかんと診断され投薬を受けていた。同年5月、生徒は両親に「学校に行きたくない」と言い始め、多くを語らなかったが、同級生から「(担任から)いじめを受けている」と言われ発覚した。母親が教諭に尋ねると「そんなことはない。口の開け方の指導に力を入れていた」と反論。しかしその後も同様の発言は続き、生徒はストレスで目が見えなくなったり耳が聞こえにくくなったりし、一時不登校になった。中学入学後もいじめを受け、学校が適切に対応しないため今年1月、特別支援学校に転校した。」

 

民法の710条をご覧下さい。

第710条(財産以外の損害の賠償)

「他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。 」 

 

あなたやわたしは、生まれたときからまわりにいる人たちとの境界線を明確にしようと奮闘してきました。

それはいわゆるアイデンティティの構築という行為です。

しかしながら、もし感情的に強烈な痛みが与えられたとき、わたしやあなたがそう望むなら心は痛みから逃れるために自らアイデンティティの一部を時に放棄することがあります。

これが「解離性障害」と呼ばれる状態なのだそうです。

いいかえれば解離性障害は、自己アイデンティティの連続性を自ら破壊することと引き替えに、耐え難い苦痛から逃れようとする極限の選択だといえます。

長い時間かけて形作っていくはずの自我を放棄させる解離性障害の契機として、得てしてトラウマのような苛烈な体験が見つかるのはそのためです。

 

ところで民法710条にいう「財産以外の損害」、つまり非財産的損害とは、言葉を変えれば、精神的損害、すなわち違法な行為で生じる精神的な苦痛であり、その賠償は、普通、「慰謝料」と呼ばれます。

実は精神的苦痛に対しても加害者に賠償責任を認めるべきかどうかは、ドイツ民法の制定当時に争われた重大な問題でした。

なぜならば精神的苦痛の賠償は、よくよくその構造を観察すればそこに復讐観念を含むものであり、刑事責任より分化した民事責任からは排斥されるべきものだという主張が有力になされたからです。

他方、個人の人格的利益もまた法律の保護を受けるべきものであるとの主張もなされ、ドイツ民法では両説を折衷し、精神的損害の賠償は法律に明文のある場合にのみこれを認めるべきものとし、身体・健康・自由および女性の貞操侵害に対してのみ、精神的損害の賠償をするべきものとしています。

一方、わたしやあなたの暮らすここ日本の民法では、710条によって財産権の侵害であるか人格権の侵害であるかを問わず、加害者は、これによって生じた精神的損害を賠償するべきものと定めています。

いかに民事責任といえども、その加害行為の社会的影響と無関係にその内容を定めうるものではなく、したがって国民感情が加害行為より生じる精神的損害に対する賠償を要求するならば、その範囲においてその賠償貴任を認めることが正当とされなければならないという解釈がなされたゆえです。(以上参照:我妻・有泉コンメンタール民法 第2版―総則・物権・債権

 

女性教師は児童に対して与えられた一定の権力をルーティン・ワークのうちに拡大解釈し、一人の子供の心を乖離の向こう側へ追いやってしまいました。

そしてもとよりわたしたちは民法というルールブックにおいて、「精神に対する不法な行為も、お前には責任を負わせる」のだと、710条をもってあらかじめ宣言しています。