抵抗権:デマゴーグを待ちながら

横暴ボスザル、3カ月でクビ 淡路島、いじめに若手反撃(朝日新聞)
「ボスは5年ほどで交代してきたが、7代目で32歳のマッキーは15年にわたってトップに君臨。子ザルや弱いサルに優しく、メスにも人気があったため、長期政権になったという。そのマッキーが今年3月下旬、他のサルに餌を奪われるようになった。他地域の集団にみられるような実力行使によるボス交代の気配はなく、マッキーが身を引いたらしい。センターはナンバー2だった27歳のイッチャンがボスに昇格したと認定。ところが、イッチャンは弱いサルを追い払ったり、エサを奪ったりと、大人げない行動が目立った。メスにも不人気で、毛繕いをしてもらえずに1匹で寝ていることが多かった。6月21日には、ナンバー4だった17歳のタマゴを押さえ込み、しつこく背中にかみついた。その翌日の午後2時ごろ、タマゴ、ナンバー2で19歳のアサツユ、ナンバー3で18歳のカズの3匹が一斉にイッチャンを襲撃。かみつかれるなどして手足や腹に大けがをしたイッチャンは柏原山のふもとにある売店まで逃げてきた。」

憲法の12条をごらんください。

第12条

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない。又,国民は,これを濫用してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」

 

わたしたちが不法な国家権力の行使に直面したとき、これに抵抗できる権利のことを憲法学上、抵抗権と呼んでいます。

そして憲法12条前段はその根拠条文になるのだと、学説は説いています。

かつてマックス・ヴェーバーは、その著書「職業としての政治」の中で、被治者がその時の支配者の主張する権威に服従する三つの理由を挙げました。

第一は、国王など「永遠の過去」がもっている権威による伝統的な支配。

第二は、ある個人にそなわった非日常的な天与の資質(カリスマ)がもっている権威で、その個人の啓示や英雄的行為その他の指導者的資質に対する、まったく人格的な帰依と信頼に基づくカリスマ的支配。

第三は、合法性による支配。

このうち指導者というものが天職中の天職であるという考え方が最も鮮明な形で根を下ろしているのが第二の型です。

わたしたちが預言者や議会の傑出したデマゴーグがもつ「カリスマ」に帰依するとは、わたしたちがその習俗や法規を後回しにしても、彼の選ばれしリーダーとしての内面の資質を信仰し、これに服従するということです。

現代、承認してきた膨大な法文に定められた手続きで選ばれる代議士たちに直面しても、これに幻滅することが多いのは、わたしたちがどこかで、もっと陶酔させてくれるカリスマの登場を心待ちにしているからなのかもしれません。

そしてもしわたしたちが社会の仕組みとして彼をより自由にさせる絶対民主主義を採用してしまえば、その投票次第で再びボナパティズムやファシズムヘ移行することも容易です。

そこで現代では自然権を基礎とする立憲民主主義憲法を採用し、専制政体を防ぐと同時に、なによりもほかならぬ私たち自身の「陶酔を待つ心」にブレーキをかけています。

「群衆に生きる一命」とは、それが人でなくたとえ猿として生まれようとも、猿山に不文の立憲民主主義を巡らせるたくましい存在なのかもしれません。

そしてもし、ひとたび待ちわびたはずのゴトーが専横を行おうとすれば、立憲民主に内在する抵抗権をその臓腑から取りだそうとするのです。

 
 

(参照書籍)