秋葉原よ、自由の街よ

別の刃物も所持 過去30年最悪の通り魔被害か(iza)
「これまでの調べでは、加藤容疑者は8日午後0時半ごろ、東京都千代田区外神田の交差点で、横断者3人程度をはねた後、10メートル走行して停車。車から降り、刃渡り約13センチのサバイバルナイフを振り回しながら交差点に戻り、歩行者天国で交通整理などにあたっていた男性警察官を刺した。警察官は制止しようとして刺されたとみられる。さらに近くの買い物客らを次々と刺しながら、歩行者天国を逃走したが、騒ぎを聞きつけた近くの交番の警察官ら3人が路地に追い込んで拳銃を構えるなどして刃物を捨てるように指示し、取り押さえたという。」

憲法の97条をごらん下さい。

第97条〔基本的人権の本質〕

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって,これらの権利は,過去幾多の試錬に堪へ,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 
わたしたちの憲法97条は基本的人権の本質に関して規定しており、そこでは国民に保障される基本的人権が、強大な国家権力からは永久に不可侵であることを確認しています。

そして個人の人権を国家権力から不可侵のものとして保障することは、全体が個人を殺してきた人間の歴史を反省し育まれた現代憲法の核心的哲学であり続けました。

97条は、憲法の根本規範性に着目し、その性質、内容面からみた実質的な最高規範性を規定しているのです。

すなわち97条は、人権から出発して憲法の最高法規性の実質的根拠を説明しているものだといえます。

そのため憲法学は、時として権力の集中した機関の暴走の歴史を法律的に解析することをその使命ともしています。

しかしながら「自由」が純存在として、突如社会に現れることもまたありません。

法律学とはすべからく、衝動と抑制の妥協点を探す作業でもあるのです。

昨日の事件のように、銃を抜いて命がけで犯人を確保しようとする警察職員が、警察署の中で今日も普通に働いていることもまた、間違いなくわたしやあなたの自由を裏書きしてくれています。

この段にきて私たちは改めて、国家権力とはほかならぬ私たち自身が自由を維持するため、付託した権力の集合であるという点に気がつくのです。

もちろんあらゆる”力”は、集中した段階でその威力に酔い、初期の目的を離れて暴走を始めることもまた、性質として含んでいます。

しかしながら事が起これば解決のために奔走するすさまじい数の機関の方々がおられ、その権力はほかならぬ私たちが付託しているからこそ、東京の各地で日曜ごとに歩行者天国という一定程度の自由が享受出来得てきたのだという側面もまた事実です。

憲法が権力に対して不可侵の権利を宣言している、その私たち自身があえて再び権力を機関に付託しているということに時に自覚的になることもまた、私たちが能動的に自由を確保しつづけるために重要な心的態度だといえるでしょう。

(そのための意思表示として選挙や立候補の自由があります)

憲法97条を角度を変えて読めば、個人と権力の関係においてそのことを肩越しに教えてくれているかのようにも読めます。(私見)

付託した権力は現場処理に全力を尽くしてくれました。

次はわたしやあなた各々が、週刊誌レヴェルの雑言に絡め取られることなく、自らの言葉をもって事件を生んだ構造を正面から捉えてみる番です。

 

事件でお亡くなりになった方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。