うつ:感情のバッファオーバーフロー

長男転落死の西村議員が手記公表(原文のまま)(iza)
「救急隊の必死の救命活動そして慶応病院の救命活動の後に、12時07分死亡が確認されて後私どもは、この突然の悲しみの中でなぜ、林太郎の転落を止められなかったのかと深く自責の念にかられながら今、林太郎は、ウツの苦しみから解放され、神に召されたのだと慰め合っています。」

精神保健福祉法の22条の3をごらんください。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律

第22条の3(任意入院

「精神科病院の管理者は、精神障害者を入院させる場合においては、本人の同意に基づいて入院が行われるように努めなければならない。」

わたしたちが己が心に不安や怒り、また悲しみを抱えるのは、その生命を維持するために原始共同体から積み上げてきたオートプログラムです。

互いに言葉ももたなかった時代、それらの感情はあらゆる生命の危機からわが身をもっとも高確率で守ろうとしたときに機能させるものでした。

しかしもしわたしやあなたの中で、いったんこうした負の感情群が一斉に起動してしまうと、わたしたちはその本来の意志とは別のやりきれない感情のぬかるみを長く歩いていくことになります。

これがうつと呼ばれる状態です。

そして負の感情が一斉に起動してしまうことの契機は、精神に容易を長期にわたり蓄積しやすくなっている高度競争社会の仕組みそのものだといいます。

さらに苦しみという感情の機能として、自らの疲労の実感を過小評価させて一つの仕事に専念させようとするため、役割が高度に分科した現代社会では、わたしたちは自らの疲労の蓄積に気づきづらくなってしまっています。

よってもし身の回りの愛する人の様子が変だと感じたときは、まさに西村議員のご家族がとられたように、敏感に本人の行動に気を配ってあげることが非常に重要なのだといえます。

なぜならばいったんうつと呼ばれる状況が発動すると、本人の生きようとする本能とは別に、一斉に襲いかかる負の感情群が彼を衝動的に死に向かわせてしまうことがあるからです。(以上参照:人はどうして死にたがるのか 下園壮太 文芸社

一方で精神障害の治療には、本人の罹患したという自覚とそれは治療が必要な状況であるという納得があったほうが望ましいのはいうまでもありません。

実際精神保健福祉法、その22条の3も、精神科病院の管理者が精神障害者を入院させる場合には、精神障害者本人の同意に基づいて入院が行われるよう努めるべき旨の努力義務を定めています。

人権尊重という法律面からの検討以外にも、治療的観点からも、こと精神治療に関しては、本人の意思による任意入院という手続き自体が、退院後の治療や再発時にも好ましい影響を与えるものと考えられているからです。

精神の病のひとつであるうつも、本人に自覚することの難しい、”負の感情の一斉暴走”という現象であるならば、その病で不覚にも自ら命を断ってしまった方々の数々の無念は、わたしたちに新しい次元の警鐘をもたらしてくれています。

新しい態度でその病を見つめれば、うつを本人の弱い心の属性だと決め付けてしまうには、あまりにもありふれた場所でわたしたち自身を待っていることに気がつくからです。

 

西村議員のご長男、林太郎氏には、やすらかなご冥福を心からお祈りします。