実況見分という毒のカプセル

ナゾ?の白バイ事故、警察の言い分通る 大谷昭宏 「裁判官の職務放棄だ」(J-cast news)
「大谷はさらに、「地方では、警察と裁判所の関係がよくいわれる。志布志事件でもおかしなことがありました。だから最近は、裁判報道でも裁判長の名前と顔を出そうということになっている」という。ちなみに、この裁判長は柴田秀樹氏。別の裁判でも、民間の証言より警察官の証言を重視していたと、番組はいう。」

刑事訴訟法321条3項をごらん下さい。

321

「3  検察官、検察事務官又は司法警察職員の検証の結果を記載した書面は、その供述者が公判期日において証人として尋問を受け、その真正に作成されたものであることを供述したときは、第一項の規定にかかわらず、これを証拠とすることができる。」

交通事故などでおまわりさんが現場を調べる作業のことを、法律用語ではなく実務用語で実況見分と呼んでいます。

その実況見分を法律的に表現すれば、場所、物または人についての形状を五官の作用で感知する処分を、任意処分として行う手続だと言い換えられます。

しかし一方で同じく五官の作用で感知する処分を、強制的に行うことを刑事訴訟法上、検証と呼んでおり、この強制作業を行うためには裁判所による令状の発行が不可欠です。

結果的に、令状の不要な実況見分という作業は令状の必要な検証という作業よりも迅速に実行できるため、証拠の散逸防止には役立つことになります。

ただ裁判所を介在させない任意捜査(197条1項但書、任意捜査の原則)である実況見分は、刀の返し方一つでまた危険な道具にも成り得ます。

よって学説上の通説、および判例理論によれば、実況見分調書には321条3項の検証調書と同様の要件が満たされることを待って、証拠能力が認められるということになっています。

具体的には、書面を作成した供述者が公判期日において証人として尋問を受け、その真正に作成したものであることを供述したときに限り、証拠能力が認められるのです。

さらにそれ以上に、実況見分調書なるものは、刑事訴訟法321条1項3号の要件を充たさなければ証拠能力は認めらないとする厳格な学説も存在しています。

裁判官の令状を介在させない実況見分というシステムが生む調書には、もともと真正に作成されないかもしれないという可能性が孕まれているのです。

そしてその時、実況見分調書は裁判という人が一生懸命に構築したシステムの腹中に、毒を運ぶ糖衣にしかなりえません。

よってもし実況見分調書が真正に作成されていないことがあきらかになったなら、裁判所は実況見分調書に321条3項を準用することを否定し、その証拠能力を公判廷において認めてはならないはずのです。(以上参照:刑事訴訟法口述過去問集 早稲田セミナー編集)

戦争が終わるまで、検察官は裁判官と同じ壇上から、被告人を見下ろして糾弾する立場にありました。

しかし戦後憲法の改革を受け、検察官は一方で社会正義の実現という使命を受け、弁護人と同じ高さに降りて被疑事実の立証に励むことになり、裁判官は、検察官の立証に矛盾がないのかを、ことごとく潰していく新しい役目を請け負うことになりました。

もし大谷氏が指摘する通り、地方においてその役割分担が疎まれ、警察と裁判所が地方権力という一つの城に同居しようとしているとするならば、”新しい戦前”はそうした城から乱発される実況見分調書によって、露払いされながらやってくるはずなのです。

 

 

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