ひしめく境界と署名殺人

生首少年? ネット告白の内容とは…動機&後悔(zakzak)
福島県会津若松市の母親惨殺事件で、逮捕された少年(17)が犯行直後に書いた可能性のある「日記」がネット上に存在したことが17日、分かった。日記の書き込みは事件が表面化する前で、一問一答形式で記入されており、犯行の動機を「ただなんとなく」「あえて挙げるなら自己表現ですね」など、“秘密の暴露”を暗示させるような記述が多数あった。」

刑法の199条をご覧下さい。

第199条(殺人)

「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」

子供が親から自信の核を植え付けられていないか、見捨てられたように感じていた場合、社会的なグループに参加することに恐れを抱くといいます。

そしてそうした子供は、早くも五歳ごろから新しい人間関係に入る術として、人格を二相にわけるのだといいます。

子供の二相的人格とは、一方の相が空想世界の構築とそこへの引きこもりで成立しており、その安全な世界では子供は統御を失わず、もう一方の相は現実世界における記号のような人格であり、本人はその人格に対して無責任だという、人格の分裂をいいます。

殺人衝動―人はなぜ人を殺すのか」を著したワシントン州検事総局のロバート・D・ケッペルによれば、彼が小学校上級へ進み、もし現実世界へ導いてくれる大人や友人に恵まれなければ、より空想の人格に深入りしはじめることになります。

そしてこの人格の二重構造は非常にエネルギーを要するため、厖大なストレスを蓄積させ、それが怒りをかき立てます。

二相的な人格構造の先には、つまるところ人格が負荷に耐えきれなくなるところまで欲求不満と怒りを押し上げてくるのだといいます。

彼が思春期に到達すると、何かが間違っていることに気が付きますが、たとえどんなに苦痛であっても社会に適応できるような選択をしていくかは彼の責任として問われます。

もう一方の道は完全に自分の精神的本籍を空想世界においたまま、体の成熟プロセスや緩和されない怒りや欲求不満と格闘していく道を選ぶかです。

もしそちらを選ぶなら、行動の結果に責任をとらなくてよい子供のままで気が済むまでいられるので、問題の到来は青年期に入る時まで後回しになります。

現にジェフリー・ダーマーやテッド・バンディといった猟奇的殺人者の多くが、そうした二相的人格を形成してきたといいます。

二相的人格の有名な殺人者達はコンフォートゾーン(心理的安楽地帯)と他人の生命の間にある境界線を軽々と一またぎすると、その殺人がはじめての真の自分の表現であるかのように、被害者の切断など、陰惨な殺人形態という”署名”を行いました。

ただし二相的人格をもつ人がすべて犯罪を犯すわけではなく、ほとんどの人が或段階で空想と現実のバランスをとって落ち着くのだといいます。

ケッペルによればそれはたとえば絶えず女子学生に性的いやがらせをくりかえす大学教授や、部下にハラスメントを繰り返すオフィスの上司もまたその側面を顕著に示しているにすぎないということです。

そうしてみれば社会には境界一歩手前の症状としての虐待行動が今日もあふれています。

それらが空想世界に暮らすもう一人の私たちが、現実世界に向けて表現する署名行為の一種であるというのです。

ケッペルは”境界地は愕然とするほど狭く、辺縁に位置する人々の数はあまりに多い”といいます。

刑法の199条、それは特別な人のために用意された特別な条文ではなく、わたしたちを押しとどめる作用さえ期待されており、踏みとどまれているわたしたちには、少年に境界をまたがせる要因を社会からひとつずつ除去していく責任が負わされているとも解釈できます。

 

 

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