クサビは俺に打たせろ

鈴木ヒロミツさん死去8日前のメッセージ(ニッカンスポーツ)
「延命治療を断り、妻美枝子さんと1人息子の雄大さん(20=大学生)と過ごす日々を選んだ。」「お別れ前に、一つだけ生意気を言わせてください。皆さん、これからの人生を、どうか楽しむために生きてください。人にはそれぞれ願いがあると思います。でも、目的が何であれ、笑って、笑って、腹の底から笑えるような人生を送って欲しい。僕はね、死を前にして、はっきり思ったんです。人生とは楽しいものだと。だから、どうか、楽しむために生きてください」

憲法の13条をごらんください。

第13条

「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」 

自分の身なりや家族のあり方、生死に直面して延命治療を行うか否かを自分自身で決定できる法的権利のことを自己決定権と呼びます。

その根拠になりうる条文は、憲法の13条、とりわけ幸福追求権条項だといわれています。

その概念は民法学者の山田卓生博士が1979年、米国の論文などに触発され、法学セミナー誌上で「私事と自己決定」を連載したことがきっかけで法曹の世界に定着しました。(参照:岩波講座 現代の法〈14〉自己決定権と法

自分の身の処し方を人様に迷惑をかけない範囲で自分が決める権利とは、どうにもいとおしい大切な権利のように思えますが、今のところ日本の裁判所が、自己決定権を真正面から認めた判例は存在していません。

考えてみるに、もし不治の病にかかったとき、延命治療に賭けるか、生の形に自ら決着をつけるのかを選んでよいという権利が、法的に確立されていなければ、終局に来ておのれの人生は一体誰のためにあったのかという点をボンヤリさせてしまうことでしょう。

その意味で究極の自己決定権、すなわち自ら死を選ぶ権利(The Right to Die)は、自己決定という言葉の中核にある”自己支配”という価値を、その死の間際で鮮やかに燃やしつくす撃鉄のようです。(私見)

英語の歌詞の曲など、特にセルフプロデュース作にその高い音楽性を示した鈴木ヒロミツさんが、延命治療を拒否して自らの命に決着をつけられました。

そして「皆さん、これからの人生を、どうか楽しむために生きてください」という絞り出すようなメッセージは、読む者の胸をしめつけます。

「自分の支配を取り戻せ」、彼はあたかもそういって笑って去ったかのようです。

 

 

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