中東自爆テロの母は日本人

『赤軍』菊村容疑者を逮捕 米から帰国直後に
「一九八八年、米国で爆弾を所持したとして逮捕され、服役していた菊村憂容疑者(54)が十九日、成田空港に帰国した。警視庁公安部は同日、米国内で他人名義の免許証を使用した偽造有印公文書行使の容疑で、日本赤軍メンバーとされる同容疑者を逮捕した。これで、日本赤軍のメンバーで国際手配などをされているのは残り七人となった。」

刑法の四条の二をごらんください。

第四条の二(条約による国外犯)

「第二条から前条までに規定するもののほか、この法律は、日本国外において、第二編の罪であって条約により日本国外において犯したときであっても罰すべきものとされているものを犯したすべての者に適用する。」 

1960年、共産党から分派した過激派集団「共産主義者同盟」は、さらに過激な路線を目指した「共産主義者同盟赤軍派」を生みました。

赤軍派は1970年、日航機をハイジャック、その際北朝鮮へ9名が亡命します。

続く1971年、赤軍派重信房子らがパレスチナ解放人民戦線と連隊し、アラブ赤軍を結成します。

このアラブ赤軍が後に改名し、日本赤軍を名乗ります。

彼らは日本人数名でイスラエルのテルアビブ空港においてマシンガンを乱射、手投げ弾を投げ24名が死亡、80名以上の重軽傷者を出し、ジャパニーズ・レッド・アーミーの名を世界へ恐怖とともに轟かせ、自爆して自殺したスタイルは中東のグループにも衝撃を与えました。

一方で日本国内の赤軍派浅間山荘事件などで弱体化、自滅の道をたどりますが、パレスチナのジャパニーズ・レッド・アーミーはあくまで攻撃的でした。

1973年にはアムステルダム空港で日航機を爆破、74年にはシンガポールシェル石油タンクを爆破、仲間が逮捕されるとクウェート日本大使館パレスチナゲリラが占領、日本政府を屈服させ日航機で全員脱出しています。

1974年フランスのオランダ大使館を占拠、1975年、マレーシアのアメリカ大使館を占拠、1977年日航機をハイジャック。

しかし各地でテロ活動を展開したことにより逮捕者が相次ぎ、徐々にその勢力は衰えていきました。

創立者の重信房子も2000年大阪に潜伏中のところを逮捕されています。(参照:国際テロファイル 松本利秋 かや書房)

日本国刑法の場所的適用範囲に関しては、属地主義、属人主義、保護主義および世界主義の四つの原則がありますが、国際的に活動する破壊活動集団に対しては世界主義による対応が要求されます。

世界主義とは、自国の刑罰法規に反する行為は、いかなる地域で行われたかを問わず自国の刑法を適用することをいいますが、日本国刑法自体は世界主義を採用するまでに至っていません。

しかし大使館員の殺害や在外公館の占拠および人質を取る行為などの国際テロ行為が続発している事態に対処するため、「国際的に保護される者に対する犯罪の防止及び処罰に関する条約」などが締結されていきました。

刑法4条の2は、そうした条約の要請する範囲で刑法を適用しようとする、包括的な国外犯処罰規定であり、その範囲で刑法の世界主義の顔を見せるものです。[参照:新版 刑法講義総論 大谷実]

やがて世界中の刑法が条約締結を通じて、まるでインターネットのように繋がり、世界を転々とする破壊活動者を追いつめる日がくるかもしれません。

その技術的許容性はともかく、必要性は高まっています。

 

 

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