条約という闘争、戦争という産業

銃撃された伊藤長崎市長が死亡 出血多量で(朝日新聞)
「当選した年の11月、オランダ・ハーグの国際司法裁判所での証言で、広島市長とともに「核兵器の使用は国際法に違反していることは明らか」と陳述。「違反とまでは言えない」との立場の外務省からは、文言をめぐって直前まで働きかけが続いたが、曲折の末、「違法」を明言した。 02年8月には「原爆の日」の「平和宣言」で、同時多発テロ後の米国の核政策を「国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行している。こうした一連の独断的な行動を断じて許すことはできない」と述べ、初めて米国を名指しで批判した。 05年5月、米ニューヨークの国連本部で開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議の本会議場で発言。長崎の原爆で黒こげになった少年の写真を掲げ、「核兵器と人類は共存できない」と訴えた。」

ハーグ陸戦規則の第22条をごらんください。

陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約

第22条 [害敵手段の制限]

「交戦者は、害敵手段の選択に付、無制限の権利を有するものに非ず」 

1904年、わたしたちの国はロシアと外交を断絶した直後、宣戦布告なしで砲撃を開始しました。

ロシアはこの行為を国際法違反であると主張、1906年オランダで開催された万国国際法学会は、武力行動の前には宣戦布告が必要であるとの決議を採択しました。

そしてそれまで戦争の作法関する法律はおよそ慣習法しか存在しなかったため、1907年、ロシア皇帝の提唱で第二回ハーグ平和会議が開かれ、ハーグ陸戦規則が生まれました。

陸戦に関する諸規法規を包括的な体系下に成文化した唯一の条約として、ハーグ陸戦規則は鈍い光を今も放っています。(参照:解説条約集 2007 (2007) 三省堂

あなたの家族を瞬時に焼き尽くす核兵器は、その使用を直接に禁止した条約がいまだ成立していません。

それは法という英知に逆らう存在なのか、それともそれを凌駕する存在なのか、結論が出せていないのです。

ただし東京地裁は昭和38年、いわゆる原爆判決と呼ばれる判例において、広島、長崎の原爆投下を違法だと判定しています。

判決は無防守都市に対する原子爆弾の投下行為は、盲目爆撃と同視すべきものであって、当時の国際法に違反する戦闘行為であるとします。

さらに、原子爆弾の破壊力は巨大であるが、それがはたして軍事上適切な効果をもつか、またその必要があったかどうかは疑わしく、セント・ペテルスブルク宣言やハーグ陸戦規則等の諸条約にかんがみると、原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上のものといっても過言ではなく、このような残虐な爆弾を投下した行為は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反していると判断しているのです(東京地裁 昭和38年12月7日)。

核兵器は平時における政治的効用も有するため、その使用と製造を含む包括的な禁止条約はいまだに締結されていないのが現実です。(参照:現代国際法講義 杉原高嶺 他 有斐閣

核兵器に関する勇敢な言説をためらわなかった一人の男性が、暗殺をもって公職を解かれました。

わたしたちはいつも失った後で、勇敢な人の稀少性に気がつくのです。

 

 

法理メール?  * 発行人によるメールマガジンです。