良識を疑うTBSの取材姿勢、池袋駅前の駐停車禁止場所に堂々と駐車(LivedoorNews)
「マナー違反ドライバーや悪質ドライバーを糾弾する特集を放送しているテレビ局が、駐停車禁止場所以外であっても、そもそも混雑する東京池袋東口のロータリーに堂々と車を止めて良いはずがない。他の一般車両は順番を待っていてでも駐車場に止めている。視聴者に示しが付かないではないか。」
東京都道路交通規則の第2条4号ケ(イ)をごらんください。
第2条(交通規制の対象から除く車両) 「法第4条第2項の規定により、交通規制の対象から除く車両は、道路標識により表示するもののほか、次に掲げるとおりとする。 (4) 駐車禁止及び時間制限駐車区間の規制の対象から除く車両 ケ 次に掲げる車両で、別記様式第2の標章を掲出しているもの (イ) 報道機関の緊急取材のため使用中の車両」 |
わたしたちがその耳目で物事を見聞し、その心で判断することが主観、そういったものを介さずただただ事実をあるがまま記述するのが客観だといわれます。
しかし”客”にもまた属性がある以上、純粋な客観というものは存在しえません。
その理屈からおよそ報道というものにも、厳密に言って完全に公正中立なものなど存在しえません。
どのようなテレビ局にも独自の視点があり、それによって同じニュースでも、違った切り口、違った脚色によって成形された物語が、今日も茶の間に届きます。
人間がそれを作る以上、ニュースに主観が入ることは避け難いことでもあります。
しかしそれでいて尚、報道機関には”できるだけ公正中立というものを標榜しよう”という意地だけは求められています。
なぜならば、立派な報道車両や特別な道路使用許可などを与えられれば、誰しも自分達の主観に基づく報道を、主観であると疑うことが徐々に難しくなるからです。
少なくとも各種の特権を身に纏えば、「悪に見えるものを叩くことは正義である」という点には積極的な疑いをもたなくなるはずです。
わたしたちはマスコミが伝える世論から、あまり自分の心が離れないように注意深く生きています。
それゆえマスコミによる報道や世論調査は、わたしたちが自分の気持ちや現実を写すため覗きこむ鏡のようなものです。
そしてその鏡には、議題設定機能という特権が与えられています。
わたしたちは報道という鏡のいうとおり自分を取り巻く現実と自分の気持ちを認識しますが、もしその鏡が無邪気で凶暴なものならば、その先にはわたしたちを大きな後悔しか待っていません。
東京都道路交通規則2条4号ケ(イ)も標章の掲示を条件に、駐車禁止規定から緊急取材車を除外しています。
しかしそれは、なにもわたしたちが彼らの感覚、彼らの正義感を全面的に信頼し、より胸のすくような報道を期待して与えた特権などではありません。
報道機関とは、「これもひとつの主観である、しかも強力な影響力をもったそれである」という自覚をもったプロの集団であるという望みが、それを与えているのです。