市ヶ谷に響く皆殺しのトランペット

上田知事が「人殺し」発言で謝罪 県に意見786件朝日新聞
「上田知事は2日の就任式で、「自衛官の人は、平和を守るために人殺しの練習をしている。警察官も、県民の生命や財産を守るために、人を痛めつける練習をする。だから我々は『偉い』と言って褒めたたえなければならない」と話した。」

憲法の9条2項をご覧下さい。

第9条

「2 前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。」 

ドイツの社会学マックス・ウェーバーは、その著書「職業としての政治」において、国家を定義して「正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体」なのだといっています。

そして国家による正当な暴力とは、警察権、処罰権、交戦権を意味しています。

大雑把にいってしまえば、上田知事のいう「自衛官が人殺しをする」ことが法的に認可される状態とは、このうちの交戦権に所属するものです。

しかし憲法はその9条2項後段で、国に交戦権を備えることを否定しています。

実際、イラク特措法17条4項を見てみれば、そこには正当防衛、あるいは緊急避難的な場合を除いて”武力”という国家の正当暴力は行使してはならないという条文があり、決して交戦権を発動させない歯止めが効かされています。

自衛隊で毎日の厳しい訓練に耐え、命の危険がともなう外地に向かうみなさんは、現状では一般人と同様のルール内でしかその火力を使うことを許可されておらず、当然それは交戦権に類するものではありません。

9条2項後段があるかぎり、自衛隊はそれが国内の平和のためでも、人殺しの訓練はしていないはずなのです。

ましてやおまわりさんも、”県民の生命や財産を守るための”人を痛めつける練習などしていないはずです。

これらの発言は、国家による正当暴力という概念を誤解していることでなされます。

国家の正当暴力とは、その維持に必ずやわたしやあなたという一般国民の得心が要求される権力のことです。

もし警察や自衛隊に、わたしやあなたの合意がない絶対権力を与えてしまうなら、早晩その不条理はわたしたちの無意識に見抜かれ、バスティーユのような運命をたどるはずです。

わたしたちは誰に教えられずとも、あらかじめ人と国家の正しい距離感を知っていて、そのうえで国家に正当暴力を維持させているのだといえます。(私見)

確かにわたしやあなたは、物を盗んだりしてしまったり、人を殺めてしまったときにはお巡りさんに逮捕されることを、社会に生きる一員として受け入れることができます。

しかしあらかじめ”ルールを破った人を痛めつける”練習をしたおまわりさんによって暴力を行使されることなど、人の尊厳が受け入れさせないはずなのです。

憲法には自衛隊員やおまわりさんが、わたしやあなたの同意なしに人殺しの練習や人を痛めつける練習などしないことが、とてもはっきりと約束されています。

 

 

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