<ソマリア>首都で「最悪の戦闘」 民間人含め死者数百人(毎日新聞)
「ソマリアの首都モガディシオで29日からエチオピア軍・暫定政府連合軍とイスラム原理主義勢力の間で激しい戦闘が続き、民間人を含め数百人の死者が出ている模様だ。赤十字国際委員会は、ソマリアが91年に無政府状態となって以降「最悪の戦闘」としており、人道支援も届かない状態となっている。」
国連憲章2条の3項と4項をごらんください。
第2条 「この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。 3 すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。 4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」 |
リドリー・スコット監督の映画、「ブラックホークダウン」では、1993年10月3日、ソマリアの首都モガデシュで米軍のヘリコプター・ブラックホークが2機撃墜され、18人の死者と数十人の負傷者を出した、戦闘が描かれています。
映画冒頭の説明によれば事態はこうです。
「1992年、長期にわたる氏族間の紛争がソマリア全土に大飢饉を引き起こし、30万人が餓死していた。
首都モガデシュはソマリア最強の部族を指揮するアイディード将軍が援助物資を略奪することで征服していた。
アイディード政権を打倒すべく多国籍軍が派遣され、2万人の米国海兵隊が食料と秩序を取り戻した。
しかし1993年4月、海兵隊が撤退するとアイディードは再び宣戦布告、残留平和維持軍を狙い始めた。
8月、事態を打開すべく米軍の精鋭部隊が首都モガデシュに派遣されたが、3週間で将軍を捕らえるはずだった部隊の任務は6週間を過ぎても成功していなかった。」
実際、米軍は、レインジャー部隊とデルタチームを投入してアイディード将軍を捕縛しようとしていたたものの何度も失敗し、戦闘エリートのプライドは傷ついていました。
10月3日は、米軍がその名誉回復のため敵陣のまっただ中へ乗り込んで将軍の側近逮捕に向かった日でした。
2週間後、クリントン大統領はデルタフォースとレンジャーにソマリア撤退を指示、”ブラックホークダウン”という市全体を巻き込んでしまった戦闘は、最終的に国連平和維持軍を撤退させるきっかけとなりました。
国連憲章の2条はその3項で平和的手段により、国際社会が人道的な介入を行うことを促してはいます。
しかし同時にその4項は、それを軍事的手段で実現しようとすることを禁止しています。
いかに人道的介入といえども、砲火飛び交う場所を構えるのは、角度を変えれば軍事マーケットの産出にほかならないからです。(私見)
1996年、アイディードが死亡しましたが、元アメリカ海兵隊員であるその息子が跡を継ぎ、国内インフラが壊滅したソマリアの混乱は続いています。
”ブラックホークダウン”と呼ばれる戦闘で、ソマリア側には500人以上の死者と1000人以上の負傷者が出たといいます。
そこまでしてまで彼らが米軍と戦ったのは、アイディード派部族会議会場襲撃事件にはじまり、国連軍と米軍の軍事行動や市内パトロールでしばしば一般ソマリア市民が銃弾に倒れ、反米感情が高まっていたからだといいます。(参照:ソマリア ブラックホークと消えた国 下村靖樹 インターメディア出版)
彼らの側からの視点も加えて見れば、ブラックホークダウンは国際社会の人道的介入と国家主権という二律背反が引き起こした市街戦だったといえるかもしれません。(私見)
わたしたちはいまだ、その難しい問題に対する答えにはたどりついていません。
一つだけニュースをもってわかることは、国際社会の人道的介入中も、引き揚げた今も、ソマリアの赤い地はいまだ銃弾だけが支配しているということです。