政見放送:法のカプセル

’07統一地方選 予定者の政見 ネットTVで(東京新聞)
統一地方選で行われる新宿区議選(四月十五日告示)で、立候補予定者が、インターネットの動画サイトで政策を語る「政見配信」が実施される。区内のネットTV「新宿放送局」(松永通之社長、http://shinjukutv.com)の企画。都知事選などと比べ関心が低調な区議選の盛り上げを狙う。同局は「全国でも前例のない試み」としている。」

公職選挙法の第150条1項をご覧下さい。

第150条(政見放送

「1 衆議院議員の選挙においては、候補者届出政党は、政令で定めるところにより、選挙運動の期間中日本放送協会及び一般放送事業者のラジオ放送又はテレビジョン放送の放送設備により、公益のため、その政見を無料で放送することができる。この場合において、日本放送協会及び一般放送事業者は、その録音若しくは録画した政見又は候補者届出政党が録音し若しくは録画した政見をそのまま放送しなければならない。」 

公職選挙法150条1項後段は、NHKに候補者の政見を”そのまま放送しなければならない”と命じています。

普通放送事業者には、編集権という権利が認められていますが、政見の発表は、その編集から防がれなければ、内包する新しい価値観の芽を悪気なく摘まれてしまいかねないからです。

また候補者からも150条1項後段を根拠に、政見として録取した情報をそのまま放送するよう請求できるものと考えられています。

したがって放送事業者の立場、候補者の立場の両面から、政見は内容を問わずそのまま放送されることが原則になります。

それらは政見というものが、わたしたちの意思を間接的に政治の場に反映させる、戦後手に入れたシステムの中核を担うものにほかならないからです。

しかしそのことと、政見が他の法益を侵害する場合にも例外なく削除は許されないのかという実体的な観点とは、また異なります。

たとえばあなたのお母さんと仲のよくないお隣さんが立候補して、その政見放送時間内でお母さんの悪口を、あることないこと話されたのではたまったものではありません。

この難しいバランスを巡っては現在も学説が衝突しており、最高裁によってもはっきりとした境界線は示されていません。

過去、差別用語を連発した政見をNHKに録取させ、その部分を編集・削除されてしまった候補者がNHKを訴えた争いがありました。(平成2年4月17日)

このとき最高裁は、150条の2(品位の保持)を持ち出し、150条1項後段の問題には触れることなく政見の編集を問題なしとしています。

問題のキワは、品位、善悪といった基準が政治の体制や時代の空気とともに変遷してしまうという点に存在しています。(私見)

そしてその点から出発すれば、やはり候補者の見解は極力そのまま放送することが保障されているべきだと考えられます。

なぜならば、現段階の良心でよかれと思ってなす編集が、実は次世代の幸福の芽を摘んでいる可能性もあるからです。

というわけで、現状で政見の放送は、いわば公職選挙法150条1項後段というカプセルに入れて守られ、内容によっぽどのことがあった場合は想定にない緊急措置をもって対応をするのだと考えられます。

そのカプセルは、次世代の政治の雛形かもしれない”政見”というものを、編集という現状の価値観による粘液から保護するための容器であり、「現在の価値観では図れない新しい価値観が、世の中を少しでもよくするかもしれない可能性」によって特別に発注されています。

そしてわたしやあなたは、その特注カプセルに劇薬が入っていてもわからないほどの強度を与えるべきかを、現状も悩みつづけているのです。

 

 

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