忍ばせた花嫁募集と民法の気圧

農業体験実習生 怒りの“告白”私は町ぐるみでだまされた! 「農家に嫁に来たんじゃない」(北海道経済)
「池田さんの「募集内容と実態が違う」という悲痛な訴えに、募集した側は「あなたの想像力が薄い」と応じたようだが、想像力を働かさなければならないような募集方法は、巧妙な詐欺行為のようなものはないか。自治体の上部機関である支庁も「自治体のやっていることで、それぞれの判断に委ねるしかない」と指導に乗り出す考えはないようだが、いかに後継者不足の農村であったとしても、誤解を招きやすい表現で「花嫁募集」を行うことは許しがたい行為だ。花嫁不足に悩む農村にはどうやら「来てしまえば、こっちのもの」という考え方があるようで、一歩間違えば池田さんもそうなっていたかもしれない。現実に「できちゃった結婚」のケースも多いと聞く。」

民法の742条1号をご覧下さい。

第742条(婚姻の無効)

「婚姻は、次に掲げる場合に限り、無効とする。

1 人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき(以下略)」 

民法という条文にははっきり書かれていませんが、婚姻の実質的要件として、もちろん結婚することへの合意がなければなりません。

婚姻の無効原因について定める742条1号も「人違その他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき」と規定することで、間接的にこれを要求しています。

ではもし婚姻してしまった人がこれを無効としたいとき、いったい”婚姻の意思”とはどのような意思をいうと解釈すべきなのでしょうか。

これに関しては、まず婚姻意思とは社会の習俗・慣習に沿った夫婦と認められる関係を形成しようとする意思だと考える立場があります。

これを実質的意思説と呼びます。

一方で婚姻意思はまた、法律効果をも目的としており、目的外の法効果をも甘受している意思だともいえます。

これを重視する考え方を形式的意思説と呼びます。

自然な心情的には、「もちろん実質的意思がなければすべての婚姻や離婚は無効だろう」といいたくなりますが、ところが現実社会では、婚姻の契約や解約による形式的な法効果を期待する人間関係が多数存在するのです。

(たとえば長く尽くしてくれたお手伝いさんに遺産を譲るためにする形式結婚などです)

民法学の内田貴先生は、婚姻と法の関わりにおいては、「行為規範」「評価規範」という視点が必要なのだと述べられています。

ここで行為規範とは、法規範がまず人々の行動する際の基準として機能している状態のことです。

また評価規範とは、一旦紛争が起きてしまってからは、同じ法規範がすでに行なわれた行為を評価する規範として働くことをいいます。

そしてこれから行為をするという場面での行為規範と、すでに行為が行なわれた場合にこれを評価する場面での評価規範とは、時に異なることもありえるという思考操作をもちいるのです。

これを「評価規範の行為規範からの分離」と呼びます。

これによれば、事情によっては評価規範を行為規範から分離させ、実質的婚姻意思がなくても婚姻は有効であるという扱いを認める余地が発生し、単なる便法としての婚姻がその目的達成を失敗している場合には、原則通り行為規範をそのまま評価規範として用いて、意思を欠くから婚姻は無効なのだということも可能になります。[参照:民法IV 補訂版 親族・相続 内田貴 東京大学出版会]

”婚姻の意思”は事情によってその解釈を変えることが可能だということになりそうです。(私的解釈)

そしてそれら法理論操作は、実質意思にせよ、法効果期待にせよ、すべて”当人の意思の尊重”がベースにあることは間違い有りません。

意思自治、それが民法の空間を支える気圧だからです。

 

 

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