我は政府にかしづき国民を育てるものなり

「死刑になるなら払う」2ちゃんねる管理者、賠償拒否(読売新聞)
「西村氏は閉廷後、報道陣に対し、過去の訴訟で確定した賠償金などについて、「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」などと、支払いの意思がないことを明らかにした。西村氏は、これまでに全国で50件以上の訴訟を起こされ、その大半で敗訴が確定。未払いの賠償金や、裁判所の仮処分命令に従わないことに対する制裁金が少なくとも計約5億円に上るとされるが、西村氏が自ら支払いに応じたケースはほとんどない。その理由について、西村氏は「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」と話した。」

刑事訴訟法の189条2項をごらんください。

第189条〔一般司法警察職員の捜査権〕

「2 司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。」 

戦前の警察、帝国警察官がその権限を執行していた範囲、すなわち警察権についての外国人による観察記録があります。

それによれば当時全国の警察を掌握した内務省の活動は以下の様子でした。

「誕生から死に至るまで日本国内のあらゆる個人の生活の日々の細目の上に絶えざる監視の目をみはっていた。

特別高等警察は一切の政治運動あるいは社会運動を調査した。

諸種の警察機関の活動はだんだんと拡張され、第二次世界大戦の末期には、警察は、考えられるほとんどすべてのタイプの政府の施策の遂行を監督するものになっていた」。

(Political Reorientation of Japan, September 1945 to September 1948,Report of Government Section, SCAP, Section IX : Governmental Aspects of Law Enforcement, I.Reorganization of the Japanese Police)

1945年、日本が戦争に負けると日本はポツダム宣言の要求の一環として、警察の大改革を加えられました。

この改革は、ひとくちに「民主化」という言葉であらわされています。

その中心は政治警察の排除と中央集権的警察機構の解体でした。

政治警察と中央集権的警察機構とは密接な関係に立つものであり、この両者を一緒に葬り去って市民の警察をつくりだすことが意図されたのです。

(以上参照:警察の法社会学 広中俊雄 創文社

現在の警察権には、この暴走を防ぐため三つのタガがはめられています。

それは警察公共の原則、警察責任の原則、そして警察比例の原則です。

その他ふたつの説明はまた別の機会に譲るとして、このうち警察公共の原則とは、警察権が公共の安全と秩序の維持の目的に直接関係のない私生活や私住所、民事関係には干渉することができないというブレーキです。

あなたが隣近所とのいさかいを交番に持ち込んでも、お巡りさんの腰が重いのは戦後の警察権に設けられた三つの限界によるわけです。

このときおまわりさんは、警察公共の原則を説明する言葉として、「警察は民事不介入ですから」とあなたに説明します。

戦前の統制社会を形作った旧警察権をあからさまに復権させないため、刑事訴訟法189条2項も”犯罪があると思料”されたとき以外に警察権が出動することを制限しています。

だれかが掲示板で名誉を毀損された、あるいはその掲示板の管理者責任放棄で名誉毀損状態が継続したと民事裁判に訴え出たとして、敗訴側が賠償金を支払わなかったとしても、それが”死刑”など国家がもたらす刑罰に直結していないのは以上のような歴史的変遷が関係しています。

それはあくまでも司法権によって解決されるべき問題だとしていくことが、結局一生を国家から監視されることからわたしやあなたの生活を守る知の力になります。

それが持ちこたえきれず、法改正によって警察権の拡大が徐々に認められていけばわたしたちはふたたび「陛下の警察官」という概念を条文上に見ることになります。

法と個人のかかわりはすべて主体性をどこに見つけるのかにかかわっており、現在の処その結論の行方はわたしたちにまかされています。

 

 

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