礫を飛ばして憲法を葬れ

痴漢“冤罪”父悲痛な訴え「息子はやってない」(ZAKZAK)
「インターネットで情報収集を始め、「通常の痴漢裁判では被害女性の証言が終わるまでは保釈されないと知った。長い人は1年もかかることもある」と悲観的な現実を知った。参考になればと、痴漢冤罪裁判を描いた公開中の映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)も見た。そして、弁護士と話し合い、「証言があれば冤罪を証明できる」と目撃者探しを決意した。」

憲法の31条をごらんください。

第31条〔法定手続の保障〕

「何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命若しくは自由を奪はれ,又はその他の刑罰を科せられない。」 

刑事訴訟において、検察官に有罪の立証責任があって、もし裁判所が犯罪事実の存否について確信を得られなかった場合には、被告人に有利に判定を下さなければならないという原則のことを、利益原則(疑わしきは被告人の利益に)と呼びます。

利益原則は、証拠法において実質的挙証責任が検察官にあることを意味しています。

そしてそのことは、無罪の推定が被告人に及んでいることの裏返しの表現になります。

つまり利益原則とは、憲法31条が要求する「正しい手続を踏まなければわたしたちは国家に刑罰を科せられない」という、適正手続思想下の存在だということになります。

以上のような論理構造で、利益原則は刑事訴訟法にはその条文がないものの、学説上憲法31条から当然導かれるものと考えられています。

例外として被告人の側に挙証責任が課されるのは、名誉毀損における事実の真実性など、とても特別な場合だけです。

よって本来、電車内で被害にあったとされる女性の証言が、単独では犯罪があったとの合理的な疑いを越えるには足りない場合、法理論上は利益原則が働いて証言の証明力はゼロに戻されなければなりません。

にもかかわらず被告の父が子の無罪の証明のため奔走して準備しなければならないという訴訟の現実は、あたかもカチカチと憲法の中核につぶてを飛ばしているかのような景色です。(私見)

 

 

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