離婚:幸福を祈る選択肢

宇多田ヒカルが離婚、4年半の結婚生活(日刊スポーツ)
「実際、結婚直前に制作されたビデオクリップ「SAKURAドロップス」で、紀里谷氏が「死というテーマも織り交ぜたい」と話すのを照実氏が「それは避けたいっていうのが僕の意見」と話すやりとりをしている。最終的に宇多田と照実氏が紀里谷案を却下し、紀里谷氏は「却下されちゃいました。まあ、良かったなという感じです」と話した一幕もあった。歌手宇多田の演出をめぐっての夫と父のバランスの崩れが、離婚へと向かわせたと指摘する声もある。」

民放の763条をごらんください。

第763条〔協議上の離婚〕

「夫婦は,その協議で,離婚をすることができる。」

離婚とは、どちらか一方が死亡したわけでなく、どちらかの、あるいはお互いの意思により婚姻関係を終了させる場合をいいます。

離婚の形態のうち、お互いに話し合って分かれる方法を協議離婚と呼びます。

離婚という行為は、一定範囲の扶養義務は残りますが、配偶者に対する無条件の保護義務を解消させてしまう、法律関係を大きく動かす行為です。

よって離婚の成否は厳格主義で担保されなければならず、協議離婚は市区町村役場に対する離婚届出によってなされることになっています。

その反作用として書類が精査され、いったんこれが受理されるともし精査に誤りがあったとしても765条2項が離婚を有効にします。

協議離婚は、家庭裁判所に離婚調停を申し立ててすることもでき、これを調停離婚と呼びます。

いずれにせよ、宗教的貞操感に縛られることが多い欧米にくらべ、わたしたちの国の民法763条は協議離婚に対して世界的に珍しいほど寛容な法的態度を示しているのだといいます。

そして形式的な関係を法律的、つまり社会規範的に強制されないことは、例えば自分達以外の事情で共に暮らすことが難しくなった男女であっても、協議離婚して憎みあわずに生きていくという選択肢を可能にします。

「幸福の外形に収まっていることは、かならずしも幸福と同義ではない」 民法763条はわたしたちなりのそうした哲学を表しているかのようです。(私見)

 

 

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