到着したら、血まみれの森

糸川議員取材記録:毎日記者が協力者に渡す ネット流出(毎日新聞)
毎日新聞第三者委員会である「開かれた新聞」委員会委員を務める田島泰彦・上智大教授(メディア法)の話 たとえ親しい間柄の取材協力者だったとしても、まだ報道していない取材内容をそのまま第三者に漏らした点、さらに取材相手の了承を得ていなかったという点で、信頼を損ねる行為であり、記者の倫理を逸脱している。記者としての基本的なルールを徹底させるべきだ。また詳しい報告を受け「開かれた新聞」で協議したい。」

憲法の21条1項をご覧下さい。

第21条〔集会・結社・表現の自由,検閲の禁止,通信の秘密〕

「1 集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。」 

わたしたちの暮らす世界では、事件や事象の報道はできるだけ真実に近くなされることが前提です。

なぜならばそうした誠実な報道が満ちていることで、それを見聞きしたわたしたちには正しい対策や議論を持つ機会が与えられるからです。

そしてそのことは”国民主権原理”という、いったい普段はどこに保管されているのかわからない幻のような概念を、より現実的な手段として少しでも引き寄せることを可能にします。

そのため学説上の通説は、新聞記者がもし司法の場など国家からその取材源の開示を迫られた場合、憲法の21条、表現の自由が取材から報道までを包括保障しているものと解釈し、正当にこれを拒否することができるのだと考えます。

つまりここでいう新聞記者の職業倫理とは、国家をよりわたしたちにとってコントローラブルな世界にするという高い理念を、職業人として見失わない態度なのだと言い換えられます。(私見)

そしてその目的地さえ忘れなければ、開示を要求してくる相手が一般人である場合にも、取材源秘匿が自分達の本質的素養なのだという理解が行き渡るはずです。

もしいつなんどき取材源がダダモレになるのかわからないならば、わたしたちはやたらと新聞記者からの取材に協力することができなくなり、結果的にその先には知るべき事象にいつも霧がかかったように見えにくい世界しか待っていません。

するとやがてわたしたちの一生という旅は、いつのまにかミステリー・トレインのように到着地が乗客たちには教えられない、不気味なものにすり替わってしまう可能性があります。

 

 

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