弱い人:明日の私

老人虐待:ペット用のオリに…手錠も 千葉の介護施設(毎日新聞)
「千葉県浦安市の介護施設「ぶるーくろす癒海館(ゆかいかん)」で、入所者をペット用のオリに閉じ込めたり、両腕に金属の手錠をかけてベッドに拘束するなど虐待をした疑いがあることが分かった。関係者の通報で、浦安市と千葉県は高齢者虐待防止法に基づき7日と16日、合同で施設を調査しており、虐待が確認されれば告発も検討する。施設側は毎日新聞の取材に、手錠やひもによる身体拘束を認めたが「オリには(入所者が)自分からふざけて入った」と説明している。」

憲法の25条1項をご覧下さい。

第25条

「1 すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 

憲法の25条1項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と宣言しており、これを生存権と呼びます。

それは社会権の中心に座る思想です。

社会権とは、生存や生活の維持・発展に必要な諸条件の確保を私たちが国家に要求できる権利のことです。

憲法25条1項の趣旨を実現するため、その2項は国に生存権の具体化について努力する義務を課しています。

老人福祉法はこれをうけて用意された社会福祉立法のひとつです。

老人福祉法の源流たる生存権は、単なる生活権とは同義でないところに注意してください。

人は虫ケラと同じように「生きてさえいられればよい」というほどの存在とは最初からなりえないこと、そのことの法哲学的定義が生存権です。(私見)

そしてそれゆえ、その言葉は現在の社会のセントラル・ドグマに据えられています。

はじめ資本主義は貧富の差を鋭く削りだし、たくさんの声を大にできない弱い人を虐げてきました。

しかしやがてわたしたちは、弱い人でさえ社会であるという思いを誰からともなく押さえきれなくなり、社会権という哲学を確立させるにいたっています。

だからこそ、もし経営の理論がお年寄りを虐待したときは社会権思想が発動し、憲法は老人福祉法に、そして高齢者虐待防止法に彼らの経営態度の立ち入り調査を許すのです。

 

 

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