美しい国にすると彼は言う

再審決定取り消し 毒ぶどう酒事件 被告側が特別抗告(神戸新聞)
「過去、確定死刑囚四人が最終的に無罪になった再審開始決定に、検察側が抗告などの異議を唱えたのは各一回だけで、いずれも再審公判の一審で無罪が確定していた。同高裁刑事一部は昨年四月、弁護側の毒物鑑定などの新しい証拠を「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」と評価。「自白の信用性に重大な疑問がある」として再審開始を決定、死刑執行を停止していた。」

刑事訴訟法の433条1項をご覧下さい。

第433条〔特別抗告〕

「この法律により不服を申し立てることができない決定又は命令に対しては、第405条〔憲法違反・判例違反〕に規定する事由があることを理由とする場合に限り、最高裁判所に特に抗告をすることができる。」 

わたしやあなたがもしなにかの間違いで刑事裁判の被告となってしまったとき、刑事訴訟法によって不服を申し立てることができない決定や命令に対しては、憲法違反・判例違反があるこ時のみ、最高裁判所に特に抗告することができます。

これを特別抗告とよびます。

そもそも特別抗告を含む、「上訴」という制度は、事実の認定や法令の解釈、それに量刑の誤りなどをただすための非常ボタンです。

そのような非常ボタンを押してまで、厳粛な裁判の流れをとどめようとするのは、もし「これが裁判である」と決めた形を逸脱した手法を用いて犯人だとされてしまった人がいたならば、その人を救い出すことがなによりも優先される事項なのだと、わたしたち自身が決めているからです。

つまり裁判の展開において真剣にして、見逃してはならない本質とは「その裁判は、我々の決めたルール通りの形を維持して結論を出したか」という点にあります。

その意味で「疑わしきは被告人の利益に」の原則は、世の中が善人だらけなどとは一言もいっていません。

それは、「疑わしい人を次々と処刑した時代への逆行」を拒絶する原則なのだといえます。

歴史をふまえるとき、「では真犯人はいったい誰だというのか?」という点にだけわたしたちは夢中になるべきではありません。

常に制裁を求める社会の感情からさえ死守する「裁判の構造」そのものが、時代の逆行を踏みとどまらせる装置にほかならないのです。

それを見越して、先人は特別上告という非常ボタンを刑事訴訟法に設置しています。(極私見)

年明けに弁護団は、このボタンを押します。

そして三権分立の荘厳な建前をよそに、司法の頂点が出す結論はいつも、時代の微妙な風向きの変化をわたしたちに教えます。

 

 

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