さがしものはあたらしいはかり

「ウィニー」裁判、判決要旨(朝日新聞)
ウィニー2は、それ自体はセンターサーバーを必要としない技術の一つとしてさまざまな分野に応用可能で有意義なものだ。技術自体は価値中立的であり、価値中立的な技術を提供することが犯罪行為となりかねないような、無限定な幇助(ほうじょ)犯の成立範囲の拡大も妥当でない。 結局、外部への提供行為自体が幇助行為として違法性を有するかどうかは、その技術の社会における現実の利用状況やそれに対する認識、提供する際の主観的態様によると解するべきである。」

刑法の第62条1項をご覧下さい。

第62条(幇助)

「1 正犯を幇助した者は、従犯とする」   

幇助犯(従犯)とは、正犯を幇助した人のことをいいます。

たとえば殺人という犯罪を決意している人に、凶器を貸して犯罪を助長したような場合です。

しかしそれは正犯の実行行為を容易にしていればよいため、たとえば犯罪を激励したなどの精神的方法でもかまわないとされています。

もし幇助犯の認定が、この先法廷で無秩序に認められていくならば、世の中で安全に暮らせるかどうかは特別高等警察の機嫌次第であるという、戦前の日本の状態に戻らないとも限りません。

そこでよく例えられるような「包丁を作った人は、刺殺犯の幇助犯になるのか」という問題提起が幇助という判定にはつきまとうのです。

今回の判例も(1)その技術の社会における現実の利用状況(2)社会の認識(3)提供する側の主観的態様という判断ポイントを設けて、著作権侵害という結果に対してファイル共有ソフトの開発を幇助犯と認定するかにつき一定の歯止めを立てた模様です。

そして「被告は…(著作権侵害を)認容した」「公然と行えることでもないとの意識も有していた」「技術的検証(という態度は)…(幇助としての)主観的態様と両立しうる」「(社会では)著作権を侵害する態様で広く利用されている」として幇助犯を認定しています。

ただし「社会の認識」や「行為者の主観的態度」などは、判決文の書き方次第でどちらにも書き分けられますので、要件立てとしては不明瞭なものであるともいえます。(私見)

判例の要件立ては、時代によって推移する判断の幅を考慮して、不明瞭に設定される場合も少なくありません)

本案件にたいして世論が割れるのは、そのソフト開発に学術的究明心が存在していたことが、最高学府の助手でもあるその専門性から(つまり誰からもわかる外形的な形で)明らかに推認できるところにあるといえます。

判例における「学究心と幇助犯的心理は両立する」という一文も、その批判を吸収しようという意図が読み取れます。

著作権侵害や、ファイル共有ソフトを狙い打ちしたウイルスによる機密ファイルの漏洩などの社会的被害は現実に発生しつづけています。

これを刑罰をもって食い止める新しい工夫が、刑法に今要求されていることは確かです。

ただしその要請は、これからの社会経済を牽引するソフト開発という行為の中に常に犯罪の幇助とされる可能性を是認してしまうこととは同義ではありません。

わたしたちは今、古い天秤の優劣を争っているのではなく、いっしょうけんめい新しいものさしを探しています。

 

 

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