侮辱は何を砕くだろう

[死亡児ネット掲載]出元不明の悲惨事故写真も 小学校教諭(Livedoor)
羽村市教委は4日、記者会見し、問題の教諭がHPに犯罪被害者の顔写真を掲載し、被害者を揶揄(やゆ)するような不適切な記載をしていたことを、今年6月の段階で把握していたことを明らかにした。また、この教諭について、渡辺敏郎教諭(33)と実名を発表した。角野征大教育長は「結果として教壇に立ち続けさせたことには、痛切に責任を感じている」と陳謝した。」

刑法の231条をご覧下さい。

第231条〔侮辱罪〕

「事実を摘示しなくても,公然と人を侮辱した者は,拘留又は科料に処する。」

刑法において名誉に対する罪は、人の名誉を保護するためにそれを公然と傷つける行為を犯罪としたものです。

わたしたちが誰かからその名誉を汚されれば、同時に社会的な生活関係も破壊されます。

そこで刑法は誰かが人の名誉を傷つけた場合、犯罪として厳密に処罰することにしているのです。

ところで侮辱罪は、どんな社会生活上の利益を保護しているのでしょうか。

法学上の通説や判例は、名誉毀損罪も侮辱罪も同じく「外形的な名誉」を保護していると考えます。

しかし刑法学の小野清一郎先生によれば、侮辱罪は名誉毀損罪とは異なり、「自己に対する価値意識・感情としての名誉感情」を保護しているのだということになり、その説は学問上いまだ有力視されています。

では市井のわたしたちにとって、”名誉”というものの本質は、どこにあるのでしょうか。

この点、山本雅子先生は論文集「日本刑事法の理論と展望(信山社)」において、「230条以下の存在根拠は憲法基本的人権に求めなければならないから、社会的な存在として誰しも有しているはずの人間としての尊厳が社会的名誉の内実となる」という鋭利な一文を寄せられています。

つまり「尊厳」、それこそが侮辱罪をつきつめて考えていくと行き止まりにあらわれる言葉だということです。

「尊」という字の次になぜ「厳」という字が連なっているのか、そこには人を侮辱してはならないことの歴史と本質が表現されています。(私見)

 

 

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