「国連憲章7章」決議、武力行使招いた過去も(朝日新聞)
「北朝鮮の核実験発表に対する安保理決議をめぐり、議論の焦点になっている国連憲章第7章は、常任理事国間で常に駆け引きの対象になってきた。安保理決議が強制行動を定めた同章に言及することに中国、ロシアはことごとく難色を示してきた。北朝鮮に対して米国は「軍事的な選択肢はない」としているが、過去の危機から、両国はいったん強制行動に踏み込めば、いずれは武力行使に道を開いてしまうとの不安を持つからだ。」
国連憲章の第41条をご覧下さい。
第41条〔非軍事的措置〕 |
ここに緑色の蔦がからまった美しい一棟の団地があるとしましょう。
その団地の各部屋には、それぞれの家族がつくったルールによって運営されている家庭が存在しています。
各家庭が国家だとすれば、家族のルールがそれぞれの国法ということになります。
しかし団地は水回りや電話回線、ケーブルテレビの引き込みやゴミ出しの日などで、棟としてのルール統一も要求されますので、家庭のルールを超越した棟としての自然発生的なルールに、各部屋は時に従う事を要求されます。
これがいわば国際法です。
たとえばこの地上を海洋法や航空法などの国際法が各家庭の自然な納得済みで覆っています。
ところでこの団地には、お金持ちの家族やPTA会長さん、警察署長の一家など、数家族の有力な家庭も入居しています。
この有力な家族達は団地内での大きな争いごとのあと、「この団地の平和をぜひ私たち有力な家族のチームで維持していこう」と主体的に自警団を結成しています。
自警団には一応団地に住むほとんどの家族が加盟していますが、その意思決定は、もっぱら有力な数家族の意図の下運営されています。
乱暴に表現することが許されるなら、これが国連とその安全保障理事会です。
もし自警団のルールが、即、団地のルールになるなら、それを行使することになんら躊躇はいらないはずです。
なぜ国連憲章7章41条はその実行を躊躇させるのでしょうか。
それはひとえに国連憲章が、「純粋な意味での国際法の範囲とは重ならないのではないか」という疑問点に起因しています。(私見)
国連という自警団は現実に、地上の和平に必須といえるでしょう。
しかし41条の条文をもう一度よくお読み下さい。
非軍事的措置の実行は安全保障理事会、すなわち五カ国の常任理事国と十カ国の非常任理事国という少数の有力な家族に意思決定を任されています。
これはそのあとの42条、軍事的措置においても同じです。
ところですべからく法というものは、各条文が導く問題解決能力よりも、公式ルールを定めて、それを全員が納得して維持しているという、状態そのものに真価があると考えられます(私見)。
すると私たちの頭には常によぎるものがあるのです。
自警団には加入しているとはいえ、実質的にほんの五家族によって行われる決定を果たしてそもそもの団地全体のルールと呼んでよいものなのかと。
(しかもこの五家族は、入れ替わることさえありません)
国連憲章の非軍事的制裁の執行がためらわれるのには、必ずしも納得の得られない可能性がある条文の強権を発動することは、逆に国連憲章そのものの足元を危うくするからだと考えられます(極私見)。
なんなら自警団のあり方が団地の中で矛盾をきたさないためには、新しく考案しなければならない法的領域があるかもしれません。
残念なことにそれなしで幸せに暮らせる団地を想起できるほど、わたしたち住民が成熟期を迎えていないのは確かだからです。