水から上がって、わたしたちは約束をした

埼玉の事故 プールの安全規格とは(東京新聞)
「池本次長はこう胸の内を明かした。「改修となると多額の費用がかかる。新たに建て直すのなら吸水口の構造は違うものにしたかもしれない。(事故は)悔やんでも悔やみ切れないが、失敗作ではない」

埼玉県プール維持管理指導要綱の第六条、別記一イの(4)をご覧ください。

第六条
プールの施設基準、維持管理基準及び水質基準については、別記のとおりとする。
別記(第六条関係)
一 プールの施設基準
イ プールの構造設備の基準
(4) 排水設備
「排水口及び循環水の取入口には、堅固な金網や格子鉄蓋等を設けてネジ、ボルト等で固定させるとともに、遊泳者等の吸い込みを防止するための金具等を設置すること。なお、排水設備は、排水路を含め、周辺の生活環境に十分配慮した構造とすること。」 

燃えさかる太陽の下、その一切の体力を使い切るまで近所のプールで遊ぶ楽しみは、子供の頃だけに許される至福の時間であることに間違いはありません。

体を焼きに行ったり、冷を取るためだけに時々プールに行く大人達と違い、ただ水の中にいるだけで、子供の頃のわたしたちは幸福で仕方がなかったのです。

普段の重力から解放された子供たちはそこで色々な実験を繰り返します。

TVで見たヒーローと同じパンチやキックを水中で繰り出し、水底まで潜って裏返っては水面から見る世界を鼻をつまんで確認します。

流れるプールの吸水口があればどのくらいの力で引っ張り込まれるものなのか、近寄って試してみるという動きも子供ならば当然で、結果的に事故を起こしてしまう設計ではふじみ野市の教育次長の言には違えてとても成功作とはいえないでしょう。

子供とは、安全面への大人の万全の配慮を信じて、全てを試そうとする存在のことをいうからです。

本当に不思議だと思うことをとことん授業中に質問してしまうと授業が滞るのでそれをやってはいけないらしいこと、先生といえども大人である以上、いろいろな都合があっていつも子供の見方であるとはいえないらしいこと、大人たちは、社会的関係や子供にはわからないお金の話などで、問題解決のプライマリを決めていくらしいこと。

そうした世の中に時に矛盾も感じながらも、子供たちは自分に与えられた社会関係的な空間をとらえ、その中で個性を発芽させていきます。

しかしもし子供が探っている最中の社会が、一部でポッカリ黒い口を開けていたとすれば、それはもはや子供を育てるための環境とは呼べなくなります。

丸投げや孫請け、設計思想の未熟、あるいは法の下請けという思想そのものの未発達が業者や公務員等大人たちにとって都合がよかった、あるいはどうでもよかったのだとすれば、子供は無防備に水中を探検している場合ではないからです。

プールの設計面を具体的に数字で規制する条文は、文科省にも国交省にも厚労省にもなく、または当該プールを捕捉できず、さらにそのため本来責をとるはずの埼玉県オリジナルの要項も、眠い内容だったことが明らかになりました。

しかし要綱とは各行政の内部規範を意味し、それは本来国家法令の限界が届かない、かゆいところに手をのばす意味で作成されるもので、その意味で、たとえば地方行政の要項には住民のより具体的な意思が反映していていいツールのはずなのです。

もしそうであるとすると最終的に緩んでいたのは、真の意味で安全なプールを子供達に用意するよう行政を最後まで管理できなかった、わたしやあなたの及ばないイメージ力だった可能性もあります。

何よりもわたしたちはあの暑かったプールから上がった日、次の日の子供たちのためにそれを約束してきたはずなのです。



*戸丸瑛梨香ちゃんの安らかなご冥福を心からお祈りします。