上場企業は路上から生まれた

路上生活から上場企業社長に――オウケイウェイヴの兼元氏(NIKKEI IT PLUS)

「東京で事業をしている知り合いの社長がいて、その人をあてにして上京しましたが、『自分で何とかしろ』と言われ一蹴されました。仕事だけでも紹介してほしいと頼むと名刺のデザインをする仕事をもらいました。しかし、1枚あたり1000円程度。東京に来るときにあったお金は仕事用のノートパソコンを買ってなくなったために、とても家は借りられません。ノートパソコンを持って、駅の周辺や公園のトイレ、ドーナッツショップで追い出されるまでコーヒー1杯で粘ったりしました」「半年ぐらいすると、デザインの仕事もとにかくたくさんこなしたので、安定した量の仕事をもらえるようになりました。月30万から40万円ぐらい。家を借りることも考えましたが、名古屋に残してきた妻子のために仕送りすることを考えるとそれどころじゃなかった。寝袋を持って、友人の家に泊めてもらったり、公園で寝たりということが結局2年間続きました」

ホームレス自立支援法の2条をご覧ください。

ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法

第2条

「この法律において「ホームレス」とは、都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者をいう。」 

ホームレス自立支援法という時限法(10年)は、「ホームレスを自立させる」という思想が下敷きになっています。

裏返せばそこにはホームレス問題とは、「自立心にかけた人達の固有の問題だ」という世界観が潜んでいるといえます。

支援法2条によってホームレスを「家がない」という状況により定義づけている以上、たとえ彼がノートパソコンを抱えた後に上場企業の社長になる人であったとしても、家がなければホームレス自立支援法が彼を「自立心の欠けた人間である」と定義づけることになります。

文言の恐ろしさとは、それを封じ込める時の時代の社会を誰も客観視することができないというところに集約されます。

ホームレスとそれをとりまく社会、行政、あるいは法の問題とは、「彼らは果たして怠け者なのか、落伍者なのか」という点の根本理解にかかっているといえます。

私がアメリカで暮らしていた頃、日系商店の店先に置かれていたフリーペーパーの編集長が、ホームレスの人達のことを「怠惰な人たちであり、自己責任である」という記事を掲載したことがありました。

日本語で書かれた日系社会のローカルフリーペーパーでしかないにもかかわらず、米国社会からはその未熟な見識に対してすかさず大量の激しい抗議が行われ、翌号では若い編集長の素直な反省の弁が掲載されたものです。

率直に言ってその問題の本質は明日のわたしやあなたにも訪れるやもしれない心の構え方の変質にあり、支援法2条にいうような家がないという状況はそれが要求した副産物でしかありません。

それを証明するかのように、アメリカでは出征前立派な社会人だった州兵の多くが帰還後、心ならずもホームレスという状況に陥ってしまうという事態が社会問題化しているといいます。

激しい経済競争社会において、誰もが突然心折れて明日路上に現れることは決して珍しい話ではありません。

あの公園で寝泊りされている方々と、住所をもって生活できているわたしたちが、完全に線引きできるほど異なった人間なのかどうか、問題の核心をわたしたちが捕らえられるかはそれをイメージする気があるかどうかにかかっています。

もとよりわたしたちの価値観は常に発展途上にあります。

ホームレスという状況の中から自分のビジネスを上場させるまでに成長させた人のニュースは、問題をホームレス側に転化している時限法の世界観にも小さな疑問符をひとつ投げかけてはいないでしょうか。





人気blogランキングへ *お暇なときに、ご協力お願いします。
法理メール?  * 発行人によるメールマガジンです。