適度な振動がドライバーの腕を上げる

日テレの炭谷アナ、女子高生スカート内盗撮 「新どっちの料理ショー」リポーター (ZAKZAK)
「JR横浜駅構内で今年2月、女子高生のスカート内を隠し撮りしたとして、神奈川県警が日本テレビ炭谷宗佑アナウンサー(26)を県迷惑防止条例違反容疑で書類送検していたことが17日、分かった。炭谷アナは「申し訳ない」と容疑を認め、保土ヶ谷区検は今月2日付で起訴猶予処分とした。」

刑事訴訟法の第248条をご覧下さい。

第248条〔起訴便宜主義〕

「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」

起訴猶予処分とは、刑訴248条にいう「犯罪の嫌疑があり、訴訟条件が備わっていたとしてもかならずしも起訴しなくていいよ」という余地を活用するものです。

ここで起訴とは、裁判所に対して刑事事件の審判を求めることです。

ソクラテスを起訴した古代アテネでは市民権を持つ誰もがこれを行うことができましたが、現代の日本では検察官にしか認められていません。

この私人が誰かを刑事罰法違反で起訴することを許さないという考え方を国家訴追主義と呼んでいます。

国家だけが起訴できるということは、国家の法益、つまり公益が傷ついた、あるいは傷つくところだったと感じたときだけ公訴の提起(起訴)は行われることになります。

つまり私人が害されていたとしても検察官は私人を代理して起訴するわけではなく、私人と私人の間にある公の秩序を代理して起訴するのです。

さらに248条では、その検察官自身の掌のなかに「起訴するかしないかは君の判断にまかせる」という権力を与えています。

しかしどのような国でもその原則が通用するわけではなく、たとえばドイツでは建前上、嫌疑と訴訟条件さえあればすぐに起訴させて、そこには検察官に起訴するかどうかという判断権を与えない考え方を採用しています。

国家だけが訴追をできるのだとしたうえで、検察官に判断権力を認める考え方を起訴便宜主義、認めない考え方を起訴法定主義といいます。

これまでの幾多の著名人が迷惑条例違反で失職してきた過去と比較し、TV局アナウンサーが起訴猶予処分となった事例との不公平性に憤慨する感情こそ、ドイツ起訴法定主義をささえる「訴追の公平性維持」への裸の要請だといえるでしょう。

起訴法定主義は訴追の恣意性の拡張によって、国家訴追主義が足下から崩れる可能性を懸念する考え方だからです。

しかしドイツ起訴法定主義も多くの例外規定により、現実にはその訴追義務を緩和しているのだといいます。 [参照:口述刑事訴訟法〈上〉 光藤景皎 成文堂]

とってもささいな法益侵害でいちいち起訴されていては逆にそれを正義と呼べなくなる事態も観念され、それを押し通せば社会が機能不全になる恐れさえあるからです。

例えてみれば日本で採用している起訴便宜主義は、いわば私たちの車の乗り心地を高級に仕上げるショックアブソーバーだといえるかもしれません(私見)。

しかしこの装置によって、たとえば権力に近い人(報道機関の別名は第四権力です)の起こした犯罪の時だけは、異常に車高が高くなり路面に問題はなかったことになるショックアブソーバーでは、乗客であるあなたやわたしは、徐々にどのような構造の車に乗っているのかを把握できなくなる可能性もあります。

柔らかすぎる乗り心地で路面の状態を乗り手に伝えない車は、乗り手の能力を衰えさせるようにです。

毛足の長いカーペットの敷かれた配車室からリモートによってショックアブソーバーのコントロールがなされているとすれば、いつか古代アテネの市民訴追主義の意義が、わたしたちに別の輝きをもって見える日がくるかもしれません。

 

 

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