ナスカの地上絵と刑法に残った文様

ナスカで地上絵を新発見 台地全体で100種(産経新聞)
世界遺産に登録されている巨大な地上絵で有名なペルーのナスカ台地で、山形大人文学部の坂井正人助教授(文化人類学)らの研究グループが約100種類の地上絵を新たに発見した。直線や三角形などの幾何学模様のほか、土器の文様のようなデザインの絵も見つかった。研究グループは「全体像の解明を進め、保護につなげたい」としている。付近には車が走った跡も見つかり、新たに見つかった地上絵の一部が破壊されていた。土器の文様とみられる地上絵は先端がカールした動物の二本の角のような形をしており、ナスカ文化が栄えた紀元前100年―紀元600年ごろの土器によくみられるデザイン。豊作の儀礼に関係していると考えられるという。」

刑法の11条1項をご覧下さい。

第11条(死 刑)

「死刑は,監獄内において,絞首して執行する。」

原始社会ではトーテムポールのようなある種のシンボルがその社会を覆う文化を位置付ける焦点になりえます。

そしてひとつの村にとってそのシンボルがどう重要なのかは、それがどのような神秘的な経験を通して出現したものなのかという点にかかってきます。

アメリカ大陸では、南北の遊牧部族の中で大きく幻視体験がそうした機能を果たしてきました。

メスカリンを食み幻視のなかで神や霊と会話を繰り返すメキシコインディアンとカルロス・カスタネダの有名な連作もあります。

原始社会のなかで幻視体験の獲得技術とその解釈はやがて高度に発展していきます。

それは幻覚植物ばかりでなく、たとえば蒸されたテントのなかでみる幻視体験であったり、自らの体に鉤針をつきさして回転する木につり下げられる激痛の中で見る幻視であったりします。

彼にいったん精霊のヴィジョンがもたらされれば、彼の存在意義とと役割が幻覚のなかから現実の部族社会にもたらされることになります。

時に幻視体験を通じてもたらされる特別な文様は精霊のいでます口となり、豊穣や戦闘の勝利の祈りとして土器や体、大地に直接刻まれます。

ナスカの大地に新しく発見された呪術的文様も、ネイティブアメリカンに”高きものたち”とよばれるような存在への呪術的メッセージであったのではないか、そう思わせるような壮大な規模と複雑なデザインをもっています。

ところでわたしやあなたの国の古代の刑法も、「復讐の思想」が基盤だとされる西洋の刑法の起源にくらべ、より呪術的・宗教的なものであったといわれています。(参照:刑法総論講義案 裁判所書記官研修所監修 司法協会)

日本で最初の成文の刑法は、大化の改新の後、701年の中国法を継受した大宝律でした。(大宝令が民事法でした)

その後律令制度の崩壊とともにその実効性は失われ、平安時代中期以降は、検非違使庁判例(庁例)を中心とした慣習刑法がこれにとって代わることとなったのだといいます。

ちなみに古代刑法では死刑という規定はあってもめったに実行はさず、もっぱら流刑が用いられたようです。

対して現代刑法には11条1項という、れっきとした法律が人を殺す規定が設置されています。

それがなぜ終身刑であってはならないのか、いかような絶対価値をもって、人間が同じ人間の生命を冷静に刈り取ることが許されているのか(あるいは肯定論者からは「何故それが許されないといえるのか」)、よくよく考えるほど正解が遠い難解な論点がそこにはいくつも転がっています。

ただし原始刑法が宗教的・呪術的であったというのは、余計な詮索がゆるされないという点で機能したであろうことは妙に得心がいき、現代刑法の底にもそうした潮流を受け継いでいないという保障もありません。

ナスカの地上絵は現代科学をもって眺むれば、作物の豊穣とは何ら因果関係をもたない壮大な錯覚だったのだとなるでしょう。

しかし同時に私たちの現代刑法が描く文様、11条1項が、遠い未来からの評価においてひとつの幻視体験だったのだと評価されないとも、またいえないのです。

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