兄弟げんか:高1長男死亡、中2二男を補導 長崎(毎日新聞)
「15日正午ごろ、長崎市のマンションに住む女性(41)から「子供が兄弟げんかをして、兄がぐったりしている」と119番があった。市消防局の救急隊が駆け付けると居間にいた高校1年の長男(15)は既に心肺停止状態で、病院に搬送したが午後3時35分に死亡した。長崎県警稲佐署は長男を殴ったりけったりしたとして中学2年の二男(13)を補導、傷害致死の非行事実で県中央児童相談所に通告した。調べでは、同日午前11時50分ごろ、テレビゲーム機の後片付けを巡り、長男が二男に「ゲームをしないなら片付けろ」と注意したところ、二男が「うっとうしい」と反論。長男が手を出して取っ組み合いのけんかとなった。二男が長男の腹を足でけったり、頭や腹を手で殴り続けたところ、ぐったりしたという。長男には外見上の出血はなく、司法解剖して死因を調べる。」
少年法の第3条をご覧下さい。
第3条(審判に付すべき少年) 「次に掲げる少年は、これを家庭裁判所の審判に付する。 2 家庭裁判所は、前項第二号に掲げる少年及び同項第三号に掲げる少年で十四歳に満たない者については、都道府県知事又は児童相談所長から送致を受けたときに限り、これを審判に付することができる。」 |
少年法とは、非行少年への調査・審判の手続とその処分が規定してある法律です。
少年法にいう非行少年とは、3条にある犯罪少年・虞犯少年・触法少年の総称です。
うち犯罪少年とは3条1項1号にある罪を犯した少年のことであり、虞犯少年とは同条同項2号にいう14歳に満たないで刑罰法令に触れる行為をした少年のことであり、更に触法少年とは同条同項3号にいう一定の言動等から将来刑罰法令に触れる行為をするおそれのある少年のことをいうことになっています。
兄弟喧嘩で兄を殺してしまった13歳の少年は検察官を介在させることなく児童相談所に通告されましたが、家庭裁判所は果たして児童相談所所長がこれを送致してくるまで彼に対して審判権を行使することはありません。
それは単に家庭裁判所の審判権の範囲を画するためではなく、彼の責任能力の限界をも加味したものであり、行為時に刑事責任年齢に達しない人の処置をまず児童相談所に考えさせる趣旨だからです。(広島家庭裁判所 決定 昭和45年5月18日)
ここで刑事責任年齢とは、刑法41条にいう14歳未満の人のことであり、彼らには刑法のいう責任を問い得ません。
刑法にいう責任とは、「普通の常識人ならそのような行為はしないだろう」と社会から非難を受けるに値する条件のことで、たとえば自分が今どんな行為をしているのか未だよく理解していない年の子供の起こした結果に対して、国家は唐突には刑罰という石を彼に抱かせることはありません。
それは酷だからというよりも、反法規行為があれば責任があろうがなかろうが即処罰するのだという統治アルゴリズムのごときは、権力受託者(国家)と権力委託者(国民)との関係において健全な状態だとは言い難いためです(私的解釈)。
同じ趣旨でたとえ刑法にいう14歳、すなわち責任能力が問い得る年齢になっていた人が罪を犯したとしても、刑法に優先する特別法である少年法が出てきて、 14歳以上 20歳未満の人を原則保護処分に科することにしています。
少年時代とは一面で、その裸の感情を臆面もなく露出させることによって必然的に自らも傷を負い、多くを学んでいく実験場です。
もし社会にそのような学習時期が法律的にも確保されていなければ、裸の感情と社会の限界までの距離を知り得ないまま大人になってしまった人達ばかりによる、仮面舞踏会のような脆く白々しい毎日が訪れることになります。
わたしやあなたがたくさんの傷を負いながら、なんとか自分の裸の感情と社会性を併存させて生きてこれたのも、権力受託者と委託者間の法律的緊張が保たれていたからかもしれません。
少年法が非行少年を厚く保護しすぎていると大人になったあなたやわたしが感じる瞬間があったのなら、自分の歴史を振り返る価値はありそうです。