ネルソン教授が見つめる引用の構築美

Hypertextの父・Ted Nelson氏、来日 - 可視化されたHyperlinkの世界"FloatingWorld"(MYCOM PC WEB)
「なぜものごとには制限があるんだろう。なぜ本当はいろいろなものが背景にあるのに、それをなくしてひとつのことだけに当てはめてしまうんだろう。説明をするのがたやすくなるとしても、なんだかそれにはもの足りなさを感じてしまうんだ」とネルソン氏は続ける。「みんなちゃんとものごとを引用して話せばいいのに。著作権法でうまくいかないこともある。だから、引用をちゃんとできるようにしてやればいいんじゃないかとも考えた。異なる文脈にひとつの文章を置くことで、別の意味をもたせることもできるだろうと考えたんだ」。

著作権法の第32条第1項をご覧下さい。

32条(引用) 

「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」 

有名なパロディ事件(最高裁昭和55年3月28日 第三小法廷判決)によれば、「法三〇条一項第二(現32条1項)は、すでに発行された他人の著作物を正当の範囲内において自由に自己の著作物中に節録引用することを容認しているが、ここにいう引用とは、紹介、参照、論評その他の目的で自己の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいうと解する」と”引用”を定義づけています。

その上で「右引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならないというべきであり、更に、法一八条三項の規定によれば、引用される側の著作物の著作者人格権を侵害するような態様でする引用は許されないことが明らかである。」としています。

ここで著作者人格権とは、著作者が享有する著作財産権と別の人格的権利を意味します。

それは具体的には公表権、氏名表示権、そして同一性保持権を内包しています。

公表権とは未公表の著作物を公衆に提供、提示する権利(18条)、氏名表示権とは、著作物の原作品に、又は著作物の公衆への提供・提示に際し,その実名・変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しない権利(19条)、そして同一性保持権とは著作物及びその題号の同一性を保持する権利(20条)を意味しています。

これを侵害された場合、あなたはその差止め(112条)、名誉回復等の措置(115条)等を請求することができます(119条)。

この権利は図書館における複製など、著作権が服する制限にも服しません。

それは単なる経済的権利を超えた、人格という存在の中核を保護する権利だからです。

手塩にかけた我が子のような著作物を、出自をはっきりとさせたうえでいろいろなパーティに引き連れていってもらうならいっこうにかまわないけれど(引用)、この子をあなたに好きなように利用されるのは親としての人格はなかったも同然になる、それが著作者人格権というものの性格です(私的解釈)。

著作物の親の人格権を侵害しないためには、子供(著作物)をホームパーティに誘う時(引用)、何町何番地の、○○さんに育てられた、上から数えて三番目のお子さんであると紹介し、被引用著作物のタイトル、著作者名が明らかに分かる表示をして、さらにその子をよその子として敬意を持って扱う必要があります。

逆に言えばそれ以上の負担をせっかくのパーティに誘ってくれるパートナーに要求すれば、その子(著作物)はもはや社会的存在として機能することをやめざるをえず、パーティというマッチング機能そのものが社会において衰退していくことになります。

ハイパーテキスト概念の生みの親、テッド・ネルソン教授の標榜するプロジェクト、フローティングワールドには、人間が互いの文章を”引用”している、そのこと自体としての「美」を、どうしても理解してもらおうという思想が設計に顕出しています(私見)。

著作権という財産を自分のノードに留め置くというスタティックな視点と、ルールを守って解放することで著作物が真価を獲得するというダイナミックな視点。

著作権法に備えられた”引用”というタームも、財産としての著作物がルールを守って互いに可能な限り連結することで果たす、人という存在にとっての別の効能と、その動的な美を側面照射しています。