「価値のない命だ」とナチスは安楽死を量産した

富山・射水安楽死疑惑、外科部長は尊厳死を主張
「男性外科医(50)による患者7人に対する「安楽死疑惑」が浮上した射水市民病院(富山県射水市)の麻野井英次院長が25日午後会見し、外科医は人工呼吸器を外したことについて「患者本人の直接の同意はないが家族の同意があった。患者のためにやった。尊厳死だ」と説明していることを明らかにした。」

刑法の35条をご覧下さい。

第35条(正当行為)

 法令又は正当な業務による行為は,罰しない。 

たとえば刑法上、人を殴ってケガをさせたりすると傷害罪に問われるはずですが、ボクサーがいちいちしょっぴかれるという話は聞いたことがありません。

これはボクサーが殴り合ったりすることは、わたしやあなたの一般社会観念で正当だと判断できることから、見た目は危険でも「違法でないから罰しない」というルールが適用されるからです。

そのルールのことを刑法学で違法性阻却事由と呼んでいます。

他におまわりさんが現行犯人を拉致すること、お医者さんが人のお腹を刃物で開くことなども正当行為の範疇に入ります。

安楽死とは、傷病者が激烈な肉体的苦痛に襲われ自然の死期が迫っている場合に、傷病者の嘱託に基づき苦痛を緩和・除去して安らかに死を迎えさせる措置をいいます。

これに対して尊厳死とは、回復の見込みのない末期状態(死が間近に押し迫った状態)の患者に対し、生命維持治療(延命措置)を中止し、人間としての尊厳を保たせつつ、死を迎えさせることをいいます。

安楽死は楽に死なせることを目的とするのに対し、尊厳死は「品位ある死」の確保を目的とするという点で質的な違いはあります。

しかしどちらにしろまだ命のある患者を医者が奪うことに変わりはありませんので、その行為に違法性阻却事由が認められるのか、つまり殺人や同意殺人に問われないのかが問題となります。(参照:刑法総論講義案 裁判所書記官研修所監修 司法協会)

学問上は、死ぬほどの苦痛をやわらげる利益なら例外的に医学上明確に短いと判断された生命の利益に優越し違法性が阻却される、つまり正当行為になるのだと考えています。

かつて横浜地方裁判所は、平成7年3月28日という有名な判例で、安楽措置が違法性を阻却される要件として、

①患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること
②患者は死が避けられず,その死期が迫っていること
③患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと
④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

という要件を提示しています。

そしてこれら要件が充足すれば、積極的に死期を早める安楽死も例外的に許容されうるのだとしています。

ただしこの判決、よくよく読めば事実上の末期治療における安楽死を否定したものだということがわかります。

なぜならば、もはやそのような段階では患者は意識を失っているか、少なくとも有効な意思表示を行う状態にはないからです。[参照:刑法判例百選1 総論 有斐閣]

事実、判例は要件を定立したものの、安楽死による正当化をこれまでほとんど認めていません。

司法は違法性阻却事由の向こう側で守られて、日常的に人の生死を業務として扱う医師に対して裁量権を与えてしまうことの意味を警戒しているのです。

彼個人の哲学次第で致死量の薬液の投与が許されるほど、わたしたちは生命の尊厳の意義を解釈し切れておらず、またこれからもそんな予定はないからです。

 

 

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