男は無罪を叫び、手続の検証は傍論になった

守大助被告「絶対やってません」と退廷
「「いつ自分の意見を言ったらいいんですか」「絶対やってません」と准看護師守大助被告(34)が叫ぶ。裁判長は「被告の退廷を命じます」。仙台高裁で22日に開かれた筋弛緩(しかん)剤点滴事件の控訴審判決公判。弁護人や傍聴人に対する退廷命令が相次ぐ中、守被告は裁判長に大声で異議を申し立て、退廷を命じられた。主役のいない法廷で、判決理由の朗読が続いた。」

刑事訴訟法の435条をご覧下さい。

第435条〔再審請求の理由〕

「再審の請求は、左の場合において、有罪の言渡をした確定判決に対して、その言渡を受けた者の利益のために、これをすることができる。(以下略)」 

再審は確定判決に再審事由にあたる重大な誤りがある場合に、この再審事由を主張して確定判決の取消しと事件の再審理を求める非常の不服申立てとその審判です。

本来、法的安定性の要請からは、確定判決には既判力が生じます。

よってその取消し・変更は原則として許されないのが建前です。

しかし確定判決に重大な瑕疵がある場合にも頑なになることは、結局司法制度そのものへの信頼を失うことになります。

そこで,特に重大な瑕疵を再審事由としてあらかじめ法定しておき、これがある場合には確定判決の取消しとその事件の再審理を許すことにしています。[参照:法律学小辞典 有斐閣]

刑事訴訟法はその435条、436条において、人間はもともと間違いを犯す生き物であり、刑事訴訟法の厳格なルールを用意しても、運営するのが人間である以上、更に間違いを犯すのだと予言しているのです(私見)。

筋弛緩剤点滴事件においては、報道機関の十八番、感情的報道が主流を占め、その特殊事情(舞台となった病院のラボ的性格等)はほとんど報道がなされません。

需給原理によれば、それは他ならぬわたしやあなた、TVの視聴者が勧善懲悪のニュースをよりメディアに要求しているからなのでしょう。

ここでフーコーが個性の社会的強制システムを描くために描写した、1757年死刑記録役のル・ブルトンの監視の下パリで行われた死刑執行の様子を引用しましょう。

「やっとこのこの懲らしめが終わると、神を冒漬する言葉を発するわけでもなく大きくうめき声をあげていたダミヤンは、顔をあげて自分の体をみつめていた。同じ懲らしめ役が釜から鉄のひしゃくで煮えたぎるどろどろの液をすくって、それぞれの傷口にたっぷり注いだ。こんどは、細綱でもって、繋駕用の綱を馬と、つぎに、繋駕した馬を腿と脚と腕に沿って四肢と、それぞれ結びつけた」。

「それぞれの馬は〔受刑者の〕四肢のそれぞれをまっすぐに全力をあげて曳いた。それぞれの馬は、ひとりひとり執行人が受けもっていた。四半時、おなじような儀式ばった行事がこころみられた、そして数度くり返されたあと、とうとう、やむをえず馬に曳かせる手筈をととのえなければならなかった、すなわち、右腕を担当する馬はそのまま先頭を曳かせて、腿を担当する二頭の馬を両腕のほうへ振り当てた、その結果、腕の関節が断ち切られたのであった。また元通りの牽引が数回くり返されたが成功しなかった。死刑囚は顔をあげて自分を見つめていた。しかたなく今度は、腿につないだ馬の前にさらに二頭を置いた、都合、六頭になった。が、全然首尾よくいかない」。

「ついに死刑執行人サンソンはル・ブルトン氏のもとへ進み出て、万策尽きましたと伝えて、上司のかたがたへ、死刑囚をばらばらに刻んでいいか伺いを立ててほしいと申し述べた。市庁舎からもどってきたル・ブルトン氏は、さらに努力をかさねよとの命令を告げた」

「二、三度まえのように試みたあと、死刑執行人サンソンと懲らしめ役の例の男は、ふたりともポケットから短刀をとり出して、腿のつけ根を切った、四頭の馬が全力をあげて曳くと、両腿が、つまり、最初に右腿、つぎに左の腿がもぎ取られた。つづいて、両腕、肩とわきの下、四本の手足も同じように短刀で切られた。ほとんど骨にとどくまで肉を切らねばならなかった、ついで馬が全力をあげて曳くと、まずは右腕が、ついでもう一方が取り去られた」。[出典:監獄の誕生 ミシェル・フーコー 田村俶(翻訳) 新潮社]

人が誰かを断罪することを立場上自由に許された時、ことのほかその凶暴性をむき出しにするのだと、フーコーが引用した古文書は伝えています。

私たちは自分と異形な存在に不寛容な生物です。

偏向した報道が一人の男の回りを一旦取り巻けば、刑事訴訟法という憲法が要求した手続が正しく守られたのかどうなのかなど、傍論のように感じ一刻も早く罰したくなります。

チャルディーニもたかだか外見の善し悪しさえ、言い渡された刑の軽重に影響を与えていたのだと、ペンシルバニアの裁判記録の検証から伝えています。