輪郭よ静かに流れよ

TBS「さんまのカラクリTV」内部情報流出 ウィニーでウイルス感染(ZAKZAK)
「TBS系の人気番組「さんまのスーパーからくりTV」(日曜午後7時)の元アシスタントプロデューサー(AP)のパソコンが、ファイル共有ソフトWinny」(ウィニー)の暴露ウイルスに感染し、番組出演タレントの住所や連絡先とみられる個人情報や、「ご長寿早押しクイズ」に出演したお年寄りたちの住所一覧など、大量の内部情報が流出していたことが15日、分かった。」

憲法の13条をご覧下さい。

第13条

「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」 

私たちには自分自身にまつわる情報をやたらと人様に開示されることのない権利が憲法上保障されています。

これをプライバシー権と呼びます。

プライバシー権が保護する情報とは、病歴や前科、あるいは思想の傾向、または収入、そして家族構成などが含まれます。

プライバシー権憲法の13条に根拠を求めることができるといわれていますが、ご覧頂いてお分かりのようにそのどこにもプライバシーという文言は登場しません。

しかし13条のいう、「幸福追求に対する国民の権利」という文言を縮小し、これを通称幸福追求権と呼んで、プライバシー権のような新しい概念により発見される権利を導入する役割を負わせています。

コンピュータにより財産や人格が全て1と0(オンとオフ)に還元され計算機の中央演算装置の下を流れ処理されることになった現代では、このような新しい概念による権利を創出して、その招かれざる開示を予防していかなければなりません。

現在の状態に関する情報はもちろんのこと、過去に負ったつらい出来事の思い出やめったに人には話さない嗜好についても、コンテキストや足跡によって情報化されることが可能であり、ことによっては本人さえ言語化して自覚できていない精神の傾向さえも、行動の記録を丹念に拾うことで情報化が可能な範囲に入るかもしれません。

そう考えてみれば、人間という100年足らずを生きる個体は、その存在のほとんどを情報化できてしまう、情報の総体でしかないのだとさえ言えてしまいそうです。

あなたは自分の情報の開示を自分のコントロール下に置くことで、時には自分がつらく思っている部分(情報)を友人や家族に意識的に開示し、それによって自分の形にあった新しいきずなを形成しながら生きてきたはずですし、これからもそうして生きていくはずです。

自分にまつわる情報のうちどれを誰に対しては開示し、誰に対しては伏せておくのかという選択そのものが「あなた」という存在の輪郭だといえます。

めったに新しい形の権利を認めない憲法理論が、プライバシー権というものを認めたのも、それが深く精神を熟成させるゆえにほかなりません(私見)。

そうとすれば自己の情報が与り知らぬところで、誰でも入手できる形で漏洩され、他人のハードディスクにデコードされたが最後、二度とネットワークからそのキャッシュを払拭することができなくなるという事態は、一個の人格にとって(自己情報のコントロールを失うという意味での)崩壊に近い状況をつくることも可能になります。

Winnyを捜査していた司法警察職員自身が個人的Winny使用により捜査情報を漏洩させ、自衛官が個人的Winny使用により国防に関する情報を漏洩させ、ジャンボジェットの機長が個人的Winny使用により空港のセキュリティ情報を漏洩させる。

そういった事態も確かに外形的に大事件ではありますが、より私たちが本質的に危惧しなければならないのは、むしろ私たちの内面を電磁的に情報化したものが晒されて、それが二度と取り消せなくなってしまうことのほうだと感じます。

私自身にはWinnyというソフトそのものが黒いとか白いとかいう印象はありません。

むしろ著作権さえ侵害しなければ、そして悪質なウイルスが野放しにならなければ、技術的な意味では非常に斬新なアイディアだったはずです。

しかし人という「時間」の大部分が二進法に分解出来るとするならば、この事態を迎えて最早「素人がファイル交換ソフトを使うことが問題だ」といえる段階はとうに超してしまっています。

あきらかに現段階の我々には、安部官房長官の声明のような応急措置ではない、「対策」が必要です。

「対策すると、バージョンアップになってしまう。Winnyをより良くするアイデアはあるが、今は身動きが取れない」とする金子氏自身の発言をブラフと聞き流してしまうには、私たちのプライバシーという輪郭はあまりにも脆いのです。

 

 

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