インクカートリッジ訴訟と上告の実効性

プリンターのインクカートリッジ訴訟、アシストが上告(読売新聞)
「プリンター用の使用済みインクカートリッジを巡り、特許権を侵害されたとして、「キヤノン」(東京)がオフィス用品販売会社「リサイクル・アシスト」(同)に販売禁止などを求めた訴訟で、アシスト社は13日、キヤノンの請求を認めた2審・知財高裁大合議部の判決を不服として、最高裁に上告した。大合議部の判決に対する上告は初めて。」

憲法の76条第1項をご覧下さい。

第76条〔司法権,裁判所,特別裁判所の禁止,裁判官の独立〕

「すべて司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。(以下略)」

上告とは民事訴訟法上、控訴審の終局判決に対する法律審への上訴を意味します。

ふつうの訴訟事件は、まず地方裁判所で審理され、その判決に不服のある当事者は高等裁判所控訴することができ、さらに、高等裁判所の判決に対しては、最高裁判所へ上告することができます。

しかし旧民事訴訟法では法令違反も含まれていた上告理由も、現行民事訴訟法312条では憲法違反のみが上告理由になっていますので、見方によってはこれにより、実質的に日本の審級制は二審制を採用しているのだともいえます。

ただ確かに憲法76条1項は審級制度を予定しているものの、何審制にするのかは立法政策の問題なので(最高裁昭和31年7月26日判決)、裁判所の管轄を合理的に定めてさえいれば何審制でも問題はありません。

ここでいう”合理的”とは、私たち一人一人の人権保障にとって理屈に合っているという意味です。

かつては司法システムが実質的合理性を手に入れられていなかった時代もありました。

戦前の大審院には、違憲審査権、すなわち法律が憲法の精神に反したものでないかを審査する権利が条文上明記されておらず、判例理論上もこれを否定されていたのです。

それはつまり「国内には憲法に背く法律など存在しない」という前提の、上から設計された司法制度であったことを意味しています。

さらに戦前の裁判所の人事権は司法省という行政に握られていました。

これらのことは司法の出す結論が、本質的には常に権力の操縦桿を握った人達の思うとおりの時代であったことを意味し、私たち一人一人の人権を保障するはずの裁判所は機関として本質的独立を手に入れていなかったのだといえます。

戦後の憲法下では最高裁判所には違憲審査権が憲法の明文によって与えられ、人事権も裁判所自身が掌握することになりました。

下級裁の出した判決に対し私たちが上告という選択肢を与えられており、そしてその実効性が独立した司法システム下で保障されていることは、司法制度が戦後国民を単位に設計し直されたことの成果だといえます(私見)。

知財高裁で重要事件について集中的に取り組む特別部、大合議部はリサイクルメーカーを一旦支持した原判決を取り消し、リサイクル・インクの存在を法律的に否定しました。

1月31日付の判決文を読むと、キャノン側10人の大弁護団に対して3人で戦うリサイクル・アシスト側弁護団は、アメリカやヨーロッパにおけるリサイクル市場の確立などもあわせてリサイクル・インクというシステムの正当性を主張していることがわかります。

知財高裁の判決をはねのけて、ことは最高裁に持ち込まれることになりました。

最高裁には、ちょっとかわったブロンズ像が置いてあります。

あなたも国会図書館の隣にある美しい建物、最高裁判所に立ち寄る機会があったら、是非ロビー右手に佇むテミスの像(正義の女神)をよくご覧になってみて下さい。

顔だけが菩薩になっている、見たことのない和風のテミス像であることに気がつくはずです。

和風のテミス像の顔は、日本の司法の頂点が必ずしもグローバルスタンダードを絶対基準にはしないのだと言外に表現しているかのようです。

上告の実効性を保障された現代で最高裁まで進むことになったカートリッジインクに関する争いの結論は、欧米の基準だけでは肯首しない女神に任されることになります。

 

 

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