皇室典範と予約された未来

皇室典範、高まる慎重論(日経新聞)
皇室典範改正への慎重論が政府、与野党内で広がってきた。愛子さまの即位を念頭に置いた「女性天皇」には異論は少ないが、母方だけに天皇の血筋を引く「女系天皇」に反対する声は根強い。改正を急ぎすぎるとする批判も増えている。小泉純一郎首相はあくまで改正案を今国会に提出、成立させる構えで、自民党が今月中旬から始める党内調整は波乱含みになってきた。」

皇室典範の第一条をご覧下さい。

第1条〔継承の資格〕

皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」 

現在の皇室典範1条は、皇位を継承するためには「皇統に属する男系の男子」でなければならないとしており、つまり女性の天皇を認めていません。

男女平等を定めた戦後憲法の下で暮らすわたしたちが、「それは女性蔑視で憲法違反なのではないの?」という感触をうけたとしても、在る意味で自然なことだといえます。

日本国憲法はその前文で「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」ことを「人類普遍の原理」であると認め、自らの基本骨格に採用しています。

いわゆる国民主権原理です。

しかし憲法内に天皇の章が、そして憲法下には皇室典範が厳然と存在し、自由主義、民主主義原理をもってこれらを逐一矛盾なく説明しようとすると大変な論理的操作と解釈を要求されます。

たとえば典範10条は男子皇族の婚姻を皇族会議で決めることとし、また11条は皇族身分の離脱も自由に認めていないのですから、皇族における個人の自由を説明しようというのは所詮無理な話です。

上に上がって憲法の二条では、一般には否定されたはずの家制度に対し、皇位世襲制を宣言して、皇族はたとえ人権共有主体性はあろうとも、一般の国民と異なった取り扱いを受けるのだともしています。

憲法自身は、第一条において「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く」のだと表現し、憲法自身の中に憲法原理では説明仕切れない特殊エリアである天皇の章が存在する理由を説明しています。

非常に乱暴に表現すれば、個人の尊厳という動線を基本に設計したはずの憲法の中には、全く別の思想で設計された茶室(天皇の章、あるいは皇室典範)の存在が「全員の合意によって」残されているということになっているのです。

そうだとすると、家全体の設計の基本理念、たとえば個人の尊厳であったり、男女の平等や自由主義であったりという公平な測量器をその特別な茶室に持ち込むことにどこまで意義があるのかはわからなくなってきます。

なぜならばそのようなルールの全く違う部屋の存在を家主(国民)がなんらかの理由であらかじめ認めた(ことになっている)以上、いまさら他の部屋共通のルールを要求することは質疑応答の堂々巡りに陥る効果しかないからです。

男系女系、私には正直どちらが結論として正しいものなのかはよくわかりません。

ただ天皇を女系にする、男系にするという論議は、一見対立しているように見えて、実はどちらも同じ前提を強化しているのだろうということだけはわかります。

双方ともルールの違う茶室の存続や拡張を未来に予約しているということです。