サンタが胸ぐらを掴んでメリークリスマス

米クリスマス論争:多民族化、宗教右派の動きなど背景に(Yahoo)
「米国では80年代に人権擁護団体が公共の場からキリスト教関連展示の撤去を推進したことがあり、大手小売りチェーン「ターゲット」の約1400店では12月の特売期に入っても「メリー・クリスマス」の表示が目立たない。こうした傾向は近年、米国へキリスト教文化圏以外から移民が大量に移り住み、多民族化が進むにつれ強まっている。一方で、反発も生まれている。キリスト教右派団体「アメリカ家族協会」は今回、ターゲットを対象に「店内でメリー・クリスマスの表示を禁じている」として抗議、60万人の署名を集めるなどの不買運動に乗り出した。同協会代表は「36ページに及ぶ広告の中にクリスマスの文字が全く見当たらない」などと批判している。」

憲法の20条3項をご覧下さい。

第20条

「3 国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」 

クリスマスとはキリストが生まれた日を祝う日なのだそうですが、そうだとすればその出自は当然に宗教の世界にあることになります。

しかし一方でそれは子供におもちゃを買ってあげる日であったり、ここ日本ではなぜかケーキを食べる日となってひとつのイベントとしても定着しているわけです。

憲法はその20条3項で、単一の宗教を国が国民に強制し、個人の自我の発達に型をはめることを非常に警戒していますが、クリスマスのように行事によってはその宗教的起源とは別に習俗化したものがあり、たとえばそれを小学校で大々的に行うことは国による一宗教の強要にはならないのかが問題となることがあります。

これを「政教分離の限界」の問題と呼びます。

この問題をよりわける道具として、アメリカにはレモン・テストと呼ばれる基準があるといわれます。

それは世俗目的をもち、主要効果が宗教を促進・抑制するものでなく、政府と宗教との過度のかかわり合いを促すものではないという3つの条件を全て満たしてはじめて、政教分離の限界を超えていないと判断できるとしています。

これに対して、我が国の最高裁では政教分離の限界判断を、行為の目的が宗教的意義をもち、なおかつその効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるのでなければ、その行為は政教分離の限界を超えたとはいえないとする方式をとっているといわれます。

すなわち、わたしたちの国では、政教分離の限界はわたしたちから比較的遠くに置かれていて、国はわりと自由に靖国関係に関わったりできる余地が判例法理上設けられていると言えます。

こと裁判所に限って言えば、この問題に厳密に取り組んでいるのはアメリカのほうだといえそうです。

なんらかの理由で、一旦国民が国家による宗教的コントロールを許した時、市民の住む街は防衛本能と恐怖心でむしろ相互威迫的に思想の硬直化をはじめるはずです。

キリスト教徒の国、アメリカがイスラム教徒に攻撃されてから、世界はまるであからさまな宗教戦争に入ったようにもみえます。

アメリカでも本来のリベラルな空気はなりをひそめ、原理主義的側面をいやおうなく濃くせざるを得ない場面が、私人間のレベルで街のあちこちに現れているのかもしれません。

法理メール?