年金個人情報の「悪質のぞき見」は不採用 社保庁改革で自民部会(Yahoo)
「自民党は二十日、社会保険庁改革の作業部会で、年金個人情報を「のぞき見(業務外閲覧)」した職員のうち悪質者は強制的に退職させる国家公務員法の「分限免職」処分を適用し、年金業務を引き継ぐ新組織に採用しない方針を決めた。」
国家公務員法の78条をご覧下さい。
第78条(本人の意に反する降任及び免職の場合) 「職員が、左の各号の一に該当する場合においては、人事院規則の定めるところにより、その意に反して、これを降任し、又は免職することができる。 |
国家公務員には身分保障に関する権利があり(国家公務員法75条)、法定の事由でなければおいそれと降任・休職・免職をされないことになっています。
それはわたしたちの使っている憲法が、現在の公務員を明治憲法下の天皇の官吏とは異なって扱おうとしていることが原因です。
すなわち国民主権主義に基づく現在の憲法では、公務員を選び、クビにする権利は国民固有のものであることが憲法15条で宣言され、同じく15条では公務員が全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではないことを宣言していますが、このような「国民の手足」たる国家公務員を、国の頂点に座る権力者の機嫌次第で選んだりクビにしたりできないようにしておくことが国民主権に資すると考えられたのです。
つまり彼らの地位を安全に保っているセーフティロックこそ憲法15条、「公務員の地位」という条文だといいかえることができます(私見)。
ただしこのセーフティロック、あまりにも頑丈なためたとえば子供達にとんでもない体罰を与える教師が現れてしまった場合にさえ、実際に国家公務員法の78条で分限免職を実行するのは現実には非常に難しくなってしまっているという、国民主権に対しては皮肉な状況を生むことになっています。
そこでとくに教育の現場を注視する人達の間から、分限罷免のハードルをもっと下げるべきだという声が上がっているところです。
そもそも国家公務員の選定・罷免権は、現実にひとりひとりの国家公務員を私達が投票で選んでいく作業が不可能なことから、国家レベルにおいてはまったく実動しておらず、実務上しようのないこととはいえ画餅と化しています。
(地方レベルでは罷免権は活用されています。)
そのうえ公務員に与えられる特別の制約と引き替えに、内閣直轄の人事院によりその労働環境において特別の庇護を与えられているため、走り出してしまった列車を止められない傍観者のように、わたしたち国民は国家公務員の労働状況・労働環境の実体に触れる機会は与えられることはありません。
しかもそのシステムは国家の暴走に飽いたわれわれ傍観者のために設定されたというのですからケースによっては軽い目くらましにあったような感さえ憶えます。
このような状態をただ傍観し続けるのだとすれば、子供達から「結局国民主権って、例によってキレイゴトなんでしょ?」と問われかねません。
国民主権はそもそも支配されない時代のための必要的対置概念であり、それがどの場面にも文字通りのカタチで現れる必要はないと考えられます。
ただ飛びすぎてしまった凧の糸をたぐり寄せるように、時代時代の社会が憲法15条の立法趣旨をたぐり寄せられるのかだけが試されています。