タレントの恋愛旅行と憲法の起点

押尾&矢田、ハワイ旅行 手をつないでラブラブムード全開中日スポーツ
「矢田といえば“お嫁さんにしたい女優ナンバーワン”。そんな美女との堂々のツーショットお披露目とあって、押尾は胸を張って勝ち誇ったようなスマイル全開だ。リポーターから「結婚指輪ですか」と聞かれると、「ちげぇよ」と乱暴な言葉づかいながら、言葉とは裏腹にかなりうれしそうな表情を浮かべた。」

憲法の24条をご覧下さい。

第24条〔家族生活における個人の尊厳と両性の平等〕

「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。

配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」 

個人主義とは、世の中を個人一人一人を出発点に規定しようとする考え方のことです。

それは単一に定義しようとすれば誤解を生みやすい概念ですが、それはかつての集団主義による個人の疲弊の中から生まれてきた考え方です。

集団を単位に世の中を規定するためには上から順に定員数の少ないヒエラルキーを作成して階層で社会を統率する必要があります。

これが集団主義の具現化である、封建社会です。

わたしたちの国が戦争に負けて、それまで集団主義による規定が支配していた旧憲法は大幅に書き替えられ、現在の憲法は全体の前に個人を置く個人主義の色を濃く書き直されています。

そしてそのひとつの現れが国民の財産単位、責任を家単位で国家が管理した「家」制度の廃止でした。

憲法24条で人が「家」の事情から離れて自由に恋愛し、好きな者同士結婚できることを保障しているのも、明治憲法時代の「家」制度の解体を示しています。

それは国家と個人間の問題に限らず、職場と個人間であっても同じで、24条を私人間適用することにより、同じ職場のどのような男女が恋愛しようとも、業界、会社という集団の利益を優先的に規定して恋愛を不当に圧迫されることは現憲法下では原則否定されなければなりません。

かつて戦前の女優、岡田嘉子さんは結社の禁止など旧憲法下の全体主義の下、思想犯の前科があった演出家杉本良吉と思いを遂げるためには国を捨てなければなりませんでした。

戦後 60年、人気タレントさん同士が業界という全体の経済的思惑には一切興味を示さず、極おおらかに婚前旅行に出かけられるのも、新憲法が個人を出発点に書き上げられているからこそだといえます。



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