海岸で起こった排斥運動と白豪主義の残像

豪州で人種衝突、中東系移民襲う(goo)
シドニー南郊のクロヌラ・ビーチで、白人の男たちに包囲され暴行を受ける中東系男性。移民を襲った若者は人種差別的なスローガンを叫んでおり、豪州人と移民との緊張関係は暴力的衝突に発展した。」

人種差別撤廃条約の第4条をご覧下さい。

あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約

第4条

「締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。

(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。

(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

(c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。 」

人種差別撤廃条約は、ネオナチズムアパルトヘイト政策が公然と行われる世界に反旗を翻すべく、1969年に発効しており、日本は1995年にやっと加入しています。

オーストラリアでホワイトアングロサクソンを堂々と優越して扱う白豪主義が公式に撤廃されたのは1972年。

人種差別撤廃条約への批准はその3年後ですので、国際社会へ向けて人種差別撤廃をかさねて宣言をしたものだといえるでしょう。

それから約30年の時間の道のりを人種差別意識、というよりも白人優越意識を市井の人々の心からぬぐい去るのに十分な時間だったのかはいまのところ定かではありません。

人は属性として自分と違うカタチの他人を差別しようとする生き物であるといいますので、ここ日本にも悪しきシステムや慣習はあるはずですし、修正を施してもまたカタチを変えて現れるはずです。

しかしかつて人種差別を国策として堂々と打ち出した国は、歴史上必ずしも多くありません。

オーストラリアでは1992年に、非常に疑問の残る取調手続の下、普通の日本人旅行者達が麻薬の密輸者とされて何年も服役しているというメルボルン事件があり、現在も服役させられている日本人がいます。

ただし一国の性格を一事をもって安直に語ることは許されません。

一つの人格のなかにもたくさんの性格の方向性が混在するように、一つの国家の中にも保守的、革新的、いろいろな方向性が当然存在していることでしょう。

しかしオーストラリアが1975年に人種差別撤廃条約に対してとった、「批准」という態度は、国際公法上、署名によって内容が確定した条約を国家元首が審査し、国家として最終的に確認し、確定的に同意を与えることを意味しています。

人種差別撤廃条約に批准している事実を熟考するならば、オーストラリア国家は『海岸で起きた人種排斥は、国民全体の静かな本音などではなく、極端な人達によるアクシデントであった』ことを、むしろ対国内に向かって証明しなければなりません。

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