抱きしめジャケットとフラクタルな二叉

ネットで親子の触れ合いを 「抱きしめ」ジャケット発売へ(CNN)
「子どもと一緒に過ごす時間の少ない多忙な親も、空いた時間にインターネットを通してわが子を抱きしめることができる――。そんな機能を備えた特殊なジャケットが、シンガポール・ナンヤン大学で開発され、近く商品化される見通しとなった。」

民法の834条をご覧下さい。

第834条〔親権喪失の宣告〕

「父又は母が,親権を濫用し,又は著しく不行跡であるときは,家庭裁判所は,子の親族又は検察官の請求によって,その親権の喪失を宣告することができる。」 

親権は親子関係を法律的に表現する場合の中核であるといえますが、あなたにとって親権という言葉は、如何様なイメージを思い浮かべさせるものでしょう。

子供の両親が離婚することになった場合、よくこの親権が争われますが、果たしてそれは”子供も養育する義務”やそれが結ぶ親子の縁のみを意味するのみでしょうか。

確かに親権は義務の色彩が濃い権利だといわれますが、権利の一種である以上、親側から子供に関してなんらかの影響力の行使をも認めうる権利であるはずです。

親権は現在の日本では父母が未成年の子を一人前の社会人となるまで養育するため,子を監護教育し,子の財産を管理することを内容とする親の権利義務の総称と定義されています(有斐閣 法律学小辞典)。

しかし親権はその歴史をもともと”親の主張する子供への所有権”という意義で開始しています。

子供はその意思表示が未熟というよりも、そもそもその意思が未だ未発達な輪郭のはっきりしない存在であり、親がどうとでもその形を決めうる所有物でしかありませんでした(それが善意でも)。

やがて世界の近代化が進み、子供と雖も一個の人間であるという認識が発達しはじめることに則して、親の親権も所有権的性格から、子供を十全に育成する義務としての性格の領分を大きくしていくことになりました。

しかし親権の中では未だ”私の子供は私の所有物である”という意識が完全に後退したわけではなく、そしてそのことは少なからず子供が大人になるまでの期間を安全に過ごさせることにも寄与しています。

ただしその度合いにより、弊害は当然生まれ得ます。

親はしばしばその”所有権者”としての側面をむき出しにしますので、たとえば子供が相続で受けていた財産を親が親権を濫用して勝手に処分してしまうような事態を民法は利益相反行為と規定して警戒しています(826条)。

またかつて東京家裁八王子支部は、妻と離婚後、自分の娘に性交を強要し続けた父親が、娘を保護した児童相談所へ親権を盾に引渡を要求しつづけた事案について、児童相談所長の申立てによる親権喪失の宣告をなしています(昭和54年5月16日審判)。

このような親が観念する”親権”の意義からは、義務の概念だけがすっぽりと抜け落ち、まさに所有権者であるという権利の概念のみが膨張しきってしまっていたからです。

そのようなとき、民法は834条、親権喪失制度を出動させて例え実の親であろうともその親権を取り上げてしまうことにしています。

CNNによればシンガポールで遠隔地にいる親が子供を抱きしめるためのジャケットが発明されたのだそうですが、微細に分析すれば、”かわいがる”という行為のなかにも供与的な側面の他に多分に利得的な側面が併存していることを私達はいつまでも忘れるべきではありません。

それはあたかも親権の枝をフラクタルに進めた先にある同型の二叉のように、抱きしめジャケットという商品のなかに良くも悪くも併存しているはずです。


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