高橋尚子さんが課した未来への債権

<女子マラソン>高橋V 悪夢から2年「時間動き出す」(毎日新聞)
「高橋選手はこの優勝を、「オセロゲームで黒を全部、白に変えられたかのよう」と表現した。引退すら考えたつらかった時間はもう過去のこと。「暗やみに入っても夢を持つことで、一日一日が充実する。皆さんにもそのことを感じてほしい」。この2年間で走る喜びだけでなく、人生の喜びを知ったという高橋選手の言葉に、観客からはひときわ大きな拍手がわいた。」

民法の399条をご覧下さい。

第399条〔債権の目的〕

「債権は金銭に見積ることを得ざるものと雖も之を以て其目的と為すことを得」 

債権とはひとつの行為を要求できる権利のことです。

あなたがお友達に10万円貸しているという「債権」があっても、それはお友達の持つ10万円という現金への所有権は意味しません。

正確に言うと、『その10万円を彼の銀行口座から下ろさせて、さらにあなたに手渡すよう行動を請求できる権利』それこそが「債権」の正体です。

それが証拠に民法399条は、”たとえ金銭的約束でないものも債権である”と宣言し、たとえば有名歌手と約束した自分のお店で歌ってもらう権利なども立派な債権だということになっています。

あなたの「債権」が及ぶのはあくまでも「お友達の行為」についてであって、お友達の口座残高そのものには及びませんが、そのことは資本主義の機密性を糊付けする「所有権の絶対」を死守しつつ、さらに合意をもって他人の所有物への事実上の支配を許すというバネを作り出しています(私見)。

債権がバネであるとは、債権という「約束」によって、人間が本来縛られているはずの時間的・空間的拘束から自由になるための道具の発明であるということであり、裏返せば「債権」は、人間というネットワーク生物がよりよく生きるために標準装備していた機能であるとも言い換えられます。

我妻栄博士も、名論文「近代法における債権の優越的地位」のなかにおいて「人類が物権のみを以てその財産関係となし、経済取引の客体として居った時代には、人類は、いわば、過去と現在とのみに生活したのである。しかし、債権が認められ、将来の給付の約束が、現在の給付の対価たる価値を有するようになると、人類はその経済関係のうちに、過去と現在の財貨の他に、更に将来のものを加ふることが出来るようになる。」と述べられています。

トップアスリート高橋尚子さんは、2年前敗北を喫した同じレース、同じ相手に再び挑み、優勝するという偉業を成し遂げました。

それはこれまでの高橋尚子さんに対する社会の評価を塗り替え、さらには高橋さん自身の過去の意味も「成功の為の材料だった」と真逆に塗り替えることに成功しています。

前述の書において我妻博士は、かつてのジョセフ・コーラーの言葉を引用し、債権の発明により『過去は未来の役に立ち、未来は過去の役に立つ。時の障壁は打破せられ人類は、何等妨げられるところなく、時間と空間とを征服するに至る』のだと表しています。

2年前の高橋尚子さんが、それから2年後の自分自身に課した「再び栄光を勝ち取れ」という「債権」は、見事彼女自身によって給付され、そのことはコーラーの看破した債権の仕事をきっちり証明しているのだといえます。


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