ボーイミーツガールと決河したリビドー

16歳少年、受験「頑張ろう」好意と勘違い(ニッカンスポーツ)
「東京都町田市の都立高校1年、古山優亜さん(15)が団地内の自宅で刺殺された事件で、殺人容疑で逮捕された同校1年の少年(16)が、警視庁町田署捜査本部の調べに「高校受験のときに『頑張れ』と声を掛けてくれたのに、高校に入ったら無視されて憎くなった」と供述していることが14日明らかになった。少年は優亜さんに好意を持たれていると勘違いしていたことが、殺意の引き金になった可能性が高くなってきた。」

少年法の51条をご覧下さい。

第51条(死刑と無期刑の緩和)

「罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。

2 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、無期刑をもつて処断すべきときであつても、有期の懲役又は禁錮を科することができる。この場合において、その刑は、 10年以上15年以下において言い渡す。」 

少年が一人の少女に恋心を描く映画のは”ボーイミーツガール”と呼ばれ、「小さな恋のメロディ」の昔から映画ファンに好意を持って迎えられるジャンルのひとつです。

その理由は互いに一人の子供として育ってきた少年と少女が、親兄弟ではない異性に対して”特別な好意”という初めての感情を抱き、他人に自ら関わろうとするお話の中に、人間という”ネットワークを作る生き物”の好ましい萌芽を誰もが見るからのはずです。

ボーイミーツガールムービーは、やがて計算や損得で相手を探す人がたくさんいる社会へ足を踏み入れる前の、たどたどしくも生物としてはより本源的だった過去の私達自身を思い起こさせてくれる愛すべき映画だといえます。

かつてオーストリアの神経病学者、フロイトはあらゆる問題の根底に人間が抱える抑圧された性衝動が横たわっていると分析し、生きる時間すべてを(密かに性的に)突き動かすエネルギーの源のことを「リビドー」と呼びました。

そのエネルギーはあまりに強烈なため、私達は成長しながら如何にしてその「皮膚下の猛獣」があばれださないよう調教していくのかを学びます。

私達が大人になるまで支払ってきた、音楽CDや、漫画、ダンスフロアの入場料や、スポーツ観戦、芸能人のポートレイト等に対する大金のほとんどは、「リビドーを上手にコントロールし、正気を保つために支払ってきた」とさえ言い換えることも可能です(極私見)。

フロイト学派に対しては、後の学派、弟子たちが、フロイトのあまりに性的分析に反発し、より穏やかな学派も立ち上げました。

しかしフロイトが人類史上初めて明るみに出した、人という生き物を底で突き動かしている「性と、同時に死への衝動の存在」の衝撃は、あらゆる学問、あるいはシュールリアリズムといった美術運動に深い影響を与えたのも事実です。

少年がひとりの少女にほのかに恋心を抱くのも、身も蓋もなくいってしまえば、少年や少女を突き動かす”リビドー”の最初の典型的な仕事だとさえ言えます。

それは町田の少年であっても同じでしたでしょう。

ただしもしその過程にあまりに無自覚であるか、あるいは強度に抑圧しすぎ、またはリビドーのコントロールどころか、なんらかの原因で生きている現実感のコントロールさえ失ってしまっていた場合、特に一生の中でもっとも性エネルギーが彼を突き動かす少年期にあっては、ただただ否定されたリビドーは思わぬ形をとって噴出してしまう危険があります。

もはやその決河の前では、憎しみはリビドーが関わっているなどと諭しても意味をなしません。

刑法犯が少年だった場合、少年法51条によって16歳未満の者には刑罰が科されず、 18歳未満の者の刑が緩和される理由も、リビドーとの付き合いが短い彼ら自身の、人の宿命に対して不器用になりがちな年頃を慮っていると心理学的に再解釈することも可能です(私見)。

とはいえ、多くの人がリビドーという意識できない強烈なエネルギーと上手に付き合って大人になっているのが社会です。

そこからすれば、少年のあまりに残忍な犯行の前には、少年法の国親思想が時に不条理に見える瞬間は認めざるを得ません。

なくなられた少女のご冥福をお祈りします。
 


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