毒殺少女と補強証拠

「僕が入れたのだ」タリウム事件、パソコンに日記風文書朝日新聞
「女子生徒は容疑を否認しており、文書を生徒が書いていても空想や妄想が含まれている可能性もある。しかし、例えば母親が救急車で病院に運ばれたのと同じ、「10月2日」の項に「Atomが入院した。父が呼んだ救急車で連れて行かれた」と書かれているなど、一連の文書の記述は、県警の捜査で明らかになった事実と次々に一致した。」

刑事訴訟法の第319条第2項をご覧下さい。

第319条

「2 被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない。」 

刑訴法319条2項は、かつてあらゆる証拠の中で”女王”と呼ばれる位置を占めた「自白」の偏重を戒め、誤判を防止しようという条文です。

つまり自白を支えるには、それに対して十分な証拠が必要となります。

これを補強証拠といいます。

本来、裁判長は318条、自由心証主義という思想のもと裁判を進行させます。

自由心証主義とは、証拠に裁判官が必ずしも縛られない訴訟方式のことです。

その反対に、一定の証拠があれば必ずある事実を認定しなければならない硬質な刑事訴訟制度のことを法定証拠主義といいました。

その法定証拠主義の有名なものには15世紀末、ドイツに現れたカロリーナ法典というものがあります。

そこでは被告の自白か二人以上の目撃証言さえあれば有罪とされていたため、結局のところ一滴の自白を絞り出すため、拷問が横行していました。

その後、人権が産声をあげたフランス革命によってこの法定証拠主義は否定され、裁判官は必ずしも証拠に縛られない自由な判断ができるようになったのです。

にもかかわらず自白に補強証拠を要求する319条2項は、自由心証主義に対して例外的にブレーキをかけています。

それはせっかく自白の偏重を辞めても、極端に裁判官の自由な裁量に任せてしまうなら、その裁判官の人格や時代の空気によって、結局被告にされた人にとって、むごい判断が量産されてしまう危険があるからです。

現代の刑事訴訟法は裁判官に大きな裁量を手渡すことで、システムとしての犯罪人量産体制を否定しながらも、その裁判官に対しては逆にシステムとして補強証拠を要求してタガをはめているのです(私見)。

母親を毒殺したと目されている少女のパソコンから、多々、日時と状況が合致するメモが発見されたのだそうです。

事実関係との照合がなされ、証拠として採用されるのなら、重要な補強証拠として裁判官にはめられたタガをひとつ外すものになることはまちがいありません。
 


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