執着:怒りの正体

大仁田氏「太蔵よオレの母校に勝手に行くな」 明大学園祭訪問に怒った(読売新聞)
「大仁田氏は怒り心頭。誰でも入れるはずの学園祭なのに「オレの母校だ!」と自分の“縄張り”であることを主張。「勝手に行くな!」と筋違いの爆発をみせると「オレに許しを得てから敷地に入れ」とほえた。」

憲法の第19条をご覧下さい。

第19条〔思想および良心の自由〕

「思想及び良心の自由は,これを侵してはならない。」 

他人の行動にどこまでも問題の出所を見ようとする大仁田さんにあっては、現在とっても内心ただならぬ状態にあるのだとお察しします。

私たちは、いったいどうすれば、他人の行動に関わらず、内心の平和を得ることができるのでしょうか。

分析心理学では自分の中にかかえる問題が外界に投映されることを「投射された主観の同化」といいます。

そしてこの投射から生じる欲求こそ、依存、すなわち他者の状態に自己の問題の解決を委ねてしまい、執着する状態の正体だとされ、その解決方法としては内的発達が不可欠です。

ここで内的発達とは、自分の人生で起こったことに対して誠実に向き合い、これを検討することで促される成熟のことであり、より正直に検討していけばこそ、投射された感情はおのずと消滅していくのだとか。

その後は投射された主観が再び同化されるたびに、わたしたちは他人の心理を自分の経験のように理解するようになれるのだと考えられています。

そしてそのことは決して自分を放棄することではなく、自分の問題解決を他人への執着で解決しようとする態度から自由になることを意味します。

憲法19条は、国家という外部の力が私たちの心の形を力ずくでかえてしまうことを禁止してくれています。

それは私たちが戦争に負けるまで、国家によって内心の形が強制されていたという時代意識を一回フラッシュし、わたしやあなたの本音の部分を一つ一つ明らかにしてから、それによって国の行方を決めようという新ナビゲーションシステムのための条文です。

そのナビの名を立憲民主制といいます。

戦後の憲法で、内心の形が外から壊されないことは保障されました。

ただしその本質的発達は各人に委ねられていますし、国の状態とは関係なく、その発達の度合いによっては人に世界を赤くも黒くも見せるのです。
 

 
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