60億の扁桃核が描く美しい世界

フセイン元大統領、初公判で無罪主張 11月末まで休廷(CNN)
「この『法廷』とやらに取り合う気はない」と語り、特別法廷自体を認めない姿勢を示した。 」

刑事訴訟法の21条1項をご覧下さい。

第21条〔忌避〕

「裁判官が職務の執行から除斥されるべきとき、又は不公平な裁判をする虞があるときは、検察官又は被告人は、これを忌避することができる。(以下略)」 

日本の刑事訴訟法は、その21条で特定裁判官が裁判の公平が疑わしめるような立場にある場合、彼を排除することができるように作ってあります。

この制度のことを忌避と呼びます。

それは人が集まって誰かに罪のラベルを貼る刑事裁判、あるいは裁判という制度そのものへの信頼を欠かないように担保する安全弁です(私見)。

その精神は日本独自のものではなく、法という論理方程式らしきものを運営していく上では国際法上も欠かすことの出来ない気概であるといえます。

そもそもあらゆる立法は、自然法原理の実現のためになされている必要があります。

自然法原理の実現とは、イデオロギーや肌の色や神の種類を超越した高みにあるルールでのみ、私たちの世界に白線を引くことが許されているはずだと考え続けることです(私的解釈)。

そしてそれが国際法であるとき、その無色透明さの要求はより重大なものになるはずです。

イラク特別法廷が戦闘行為を規律するハーグ法を根拠としようとも、戦争犠牲者の保護を定めるジュネーブ法を根拠としようとも、根本的にそこが米軍管理区域、通称グリーンゾーンと呼ばれる戦勝国側にあるという場面意味が非常に危険な問題提起をしています。

それはこの世は未だ法が支配することなく、力が支配していることを傍観する全員で認めようとしていることを意味するからです。

そして多くの場合、殺戮の兵器は戦勝国の経済を膨張させるために火を放ちます。

つまり戦勝国側の掌において敗戦国首領を裁くことを許すのは、我々が未だ貨幣の自己増殖機能の下僕でしかないことを認めることになるのです。

サダム・フセインがどれだけ極悪人だったかというのは、この問題の本質とは関わりがありません。)

しかし世界の形のもとをたどるとイメージに行き着くなら、決して私やあなたもそのことに対して無力ではないといえます。

尊厳をもって高みに掲げる人間のルールを濁す者がいたとき、脳の奥深くで「イヤなことが行われているな」と60億人の誰もが感じることはできるのです。

そしてその意識の変化がもたらすちょっとした行動の集積は、世界の形を今よりも少しずつ美しいものにしようとするはずです。
 


法理メール?

Copyright © 2005 恵比寿法律新聞