地域に公認されるネオナチと置き去りの果実

ネオナチのデモで騒動 米オハイオ州 (産経新聞)
ネオナチのグループは「白人住民に迷惑をかける黒人を批判する」ため、市内でデモを計画。これに反対するため集まった人々が、警戒中の警察車両などに投石し、付近の民家に放火するなどの騒動に発展。群衆の数は一時、600人近くに達した。」

人種差別撤廃条約の第4条をご覧下さい。

あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約

第4条

「締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。

(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。

(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

(c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。」

外務省ホームページより

ニュース映像を見ましたが、衝撃的だったのは白人グループが従来のKKKのように白頭巾で顔を覆うこともなく、素顔を出したままハーケンクロイツの腕章を腕に堂々と巻いて主張する姿でした。

顔を出しているということは、地域がその思想団体をある意味公然と容認していることの証左になります。

ネオナチズムはすでにただの「抑えきれない感情を持つ者同士の集団」という枠を超えて、思想団体としての確固たる地位を世界中で固めつつあるようです。

1966年、黒人大学生ジェイムズ・メレディスがメンフィスから始めた「恐れに抗う行進」(March Against Fear)は、多くの黒人達に選挙権登録を呼びかけながら進みましたが、その参加者たちは州警察によるガス弾、暴行による妨害を受けました。

それはたった40年前の出来事ですが、時の大統領や司法長官はその時代この事態を一切取り上げようとしませんでした。

遡れば、黒人を解放したリンカーン大統領は反対陣営の放った刺客によって「暴君」呼ばわりされた上、劇場で射殺されています。

人種差別撤廃条約はこうした思想に対して国家が放置、または加担することを防ぐため、1965年国連で採択され、ちょうど「恐れに抗う行進」が行われた年の3年後、1969年に発効しています。

人の胸が他人に対する怒りで一杯になるのは、いつも事態の責任を自分で引き受ける覚悟ができないときなのだといいます。

もしそうであるなら一切の外国人を自国から追い出した後、不況や政策に対する不満が解消されない時、今度はより純血度の低い人間を捜し出して排斥するという無限ループに陥ることになります。

排斥思想の終わりに待っているのは、結局社会の動脈硬化であり、個々人の発達の行き止まりでしかありません。

反対に、事態の一切の責任を私たちが引き受けはじめるとき、そこに転がっている問題は、反転のための燃料に転化することが可能になります。

そしてそれは、その場所でしか手に入れることのできない果実です。

驚くべきことに、私たちの政府がそうした姿勢を選択してこの人種差別撤廃条約に加入したのは今からたった10年前、1995年12月のことであり、加盟の順番は実に世界で146番目のことでした。


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