少年の死刑と動的な解答

4人リンチ死「犯行時少年」厳刑へ、3事件の殺人認定(読売新聞)
「主文の言い渡しは午後になる見通しで、厳しい刑が予想される。判決が言い渡されるのは、いずれも無職の愛知県一宮市生まれ、A(30)(犯行時19歳)、大阪府松原市生まれ、B(30)(同19歳)、大阪市西成区生まれ、C(29)(同18歳)の3被告。」

少年法の51条をご覧下さい。

第51条(死刑と無期刑の緩和)

「罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。」 

少年法にいう「少年」とは、19歳までの人をいいます。

一般常識からすれば、少年時に犯した重罪はすべて罪が軽くなる、あるいは罪が免除されるようなイメージがありますが、51条は犯行時18歳、及び19歳だった人への死刑を禁じてはいません。

少年法という福祉法の傘の下であっても、究極の場合には首をくくると床が抜ける階段が用意されているのです。

被告人が死刑になるのかどうかの基準として、永山事件上告審判決というものが用いられています。

そこでは「 死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき」

「その罪責が誠に重大あつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない」のだという要件が掲げられています。

その裁判では、被告人が米軍基地内でけん銃を窃取し、東京と京都で勤務中の警備員を射殺し、函館と名古屋でタシクー強盗を働いてタクシー運転手を射殺、さらに東京で学校の警備員を狙撃したという事案に対して、犯行当時19歳の少年だったにもかかわらず結局死刑判決が確定し、これが執行されています(最高裁 昭和58年7月8日)。

今回の少年達の誰かに死刑判決が出るのであれば、この永山事件上告審判決基準に照らして、国家が「死刑以外には許されない行為があった」ものと認定したことになります。

一方少年法は本来、少年の未成熟性を鑑みて、刑罰はやむを得ない場合にとどめることとしている特別法です。

少年法福祉法としての側面を強調する立場からは、少年法によっても死刑を否定できない51条の存在を疑問視する声もあります。

永山事件を担当したあの遠藤誠弁護士も、少年法の原則は応報主義ではなく教育刑主義のはずであると弁論しています。

但しいつの世も、社会には絶対正解というものは存在しません。

そこで各利益を調整するあらゆる法律は、内部にある種の論理矛盾を実は内包していたほうが、長期的にその存在を強調しえるのだという逆説も見いだせます。

それがなければ多方面からの正論に押されて、法はその形を維持できなくなるのです(私見)。

残虐犯罪への社会感情と、少年保護の精神の衝突は、法が内包するある種の矛盾によってしか解消されえない問題であるかもしれません。

いずれにせよ私たちは動的に解答を出し続けていかなければならない存在なのです。
 


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