焼け野原で子供は次々収容された

小1スーツケース死、7歳男児が閉めたのが原因と判明(読売新聞)
那覇市久米のマンションで7日夜、小学1年男児(6)がスーツケース内で死亡した事故で、那覇署は12日、一緒に遊んでいた同市の小学2年男児(7)が、スーツケースを閉めたのが原因として、この男児を児童福祉法に基づき、沖縄県中央児童相談所に通告した。」

児童福祉法の第25条をご覧下さい。

第25条〔要保護児童発見者の通告義務〕

「保護者のない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認める児童を発見した者は、これを福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。(以下略)」 

児童とは一面で、自分からその権利の存在の主張はおろか、権利が存在することを確認することさえできない未熟な存在です。

それがゆえに大人がいったん彼らを所有物のように扱おうとすれば、いとも簡単にひとつの人生を台無しにすることができます。

児童はまず親に翻弄され、親は生活面で私的社会に翻弄され、私的社会は国家の国策に翻弄されます。

よって児童という存在が、国家へ児童福祉法の敷設を要求せしめたのも当然の論理的帰結といえるわけです(私見)。

日本の児童福祉法はその1条、2条、3条で理念を表していますが、そこには児童への責任は社会全体が負うものであることが明記されています。

子どもの頃に、廃車のトラックの荷台やコンテナに隠れたりするのは、男の子なら誰にでもよくある経験ですが、友達が閉じこめられてしまった場合にこれを大人に通告しないのは必ずしも子供全てによくある事態とはいえません。

この場合、情緒面、行動面に障害がある児童として、要保護児童の範疇となり、児童福祉法の擁護下に入ることになります。

児童福祉法の第25条は非行などのために保護者のもとでは適当な処置をうけられない子供をみつけた人に児童相談所などへの通告を、国民全てに義務づけており、その義務はあなたやわたしにもあります。

それはその子供が非行、すなわち社会が受け入れがたい行為をしてしまった理由を、いったん親から引き離し、変わって私たち社会全体が責任を引き受けて見つけ出そうとする制度です(私見)。

児童はかつて大人の所有物であり、工場の中を走り回る労働力であり、「いまだ使い物にならない小さな大人」でしかありませんでした。

このため戦争に負けた直後、街に放り出された子供達はただただ社会を困らせる収容の対象でしかなく、権利主体性など見つけてもらえませんでした。

しかしあなたや私の暮らす社会は経験を重ねることで確実に成熟しています。

現在の児童を児童福祉法の精神のもとで、あなたや私や国家機関が非行のあった子供を児童相談所に通告することは、かつて未熟な社会に固有の権利主体性を十分認められなかった、子ども時代のあなた自身を救済することも意味しています。



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