停滞する公務員制度改革 (共同通信 2005年10月07日)
「小泉純一郎首相が衆院選圧勝を受け、構造改革路線を推進する中、天下り規制の強化と能力・実績主義による人事評価制度の導入を柱にした公務員制度改革が停滞している。天下りの承認権が奪われることで権限縮小を懸念した人事院と、人事評価との引き換えに労働基本権(スト権)の付与を求める連合が、いわば「官労タッグ」を組み猛反発しているためで、「小泉改革」に影を落としている。」
国家公務員法の16条をご覧下さい。
「人事院は、その所掌事務について、法律を実施するため、又は法律の委任に基づいて、人事院規則を制定し、人事院指令を発し、及び手続を定める。人事院は、いつでも、適宜に、人事院規則を改廃することができる。」 |
人事院とは、公務員の人事を担当する機関のことです。
それは人事行政を政党などの政治勢力から独立して公正に掌理する機関として設けられた、独立行政委員会です。
では独立行政委員会とは、いったいどうした組織なのでしょうか。
憲法六五条は「行政権は、内閣に属する」と規定しますが、そこに「全ての行政権」とは書いていないため、場合によって内閣の手元からはずれる行政権を認める余地が許されると考えられています。
それは直接の政治的コントロールを排して中立的な立場で厳正に行われるのが適当な範囲の行政たちのことです。
それがたとえば、人事院や公正取引委員会、国家公安委員会などのことであり、それらの活動は存在意義上、内閣から完全に独立しているとみなされています。
こうした行政委員会は、内閣の所轄の下にあるとされながらも、実際には、その職務を行うにあたって内閣から独立して活動しているため、独立行政委員会と呼ばれているのです。
考えようによっては、そこに固有かつ不可侵の権力の存在が認められている、あるいは要請されているとさえいいかえられます(私見)。
このためせっかく憲法65条を通じて行政の暴走をコントロールしようとした立法趣旨を、独立行政委員会は軽々と抜け出してしまうのではないかという疑義が古くからありますが、学説上の通説は独立行政委員会の存在を合憲であるとしています(根拠には諸説あり)。
この点判例は「人事院が国家公務員法一六条で内閣の承認をえないで人事院規則を制定できるのはヤバすぎる!」という主張に対し、「国家公務員法は、議院内閣制の下で政党の影響が国家公務員に及び、国民の一部だけの奉仕者になることがないようにするために設けられた特別の国家機関に行政を行わせる法律で、憲法65条を裏切るものではないという見解を示しました。
また、憲法六六条三項に「内閣の職務権限に属する一切の行為について、内閣は国会に対して連帯して責任を負う」とあるのは、従来天皇に属していた官吏の任免権を内閣に移したところに意義がある条文で、「なんでもかんでも全て内閣でやるべし、と読むべきではない」ともして、人事院に対して合憲判断を下しています(参照:憲法判例百選 有斐閣 福井地裁 昭和二七年九月六日判決)。
人事院は国民主権という観点から、その必要性と許容性の理論的説明を一応なされているといえます。
ただし「天下りの承認権が奪われることで権限縮小を懸念した人事院」というものが国民の利益を圧迫してその存在感の拡大を図るものなら、その許容性には幾分の懐疑的態度が必要かもしれません。
いつの時代も権力受託者を信頼しすぎないというゴールデン・ルールは有効です。
勉強部屋に鍵がかけられれば、際限なく自由を謳歌しようとしてしまうのが、あなたやわたしもふくめた人間という生き物のぬぐい切れない習性なのですから。
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