愛人17人のために19億円を横領した男と罪のプライスタグ

着服19億円 愛人17人に使う(スポニチ 2005/10/05)
「被告は、主に飲食店で知り合った20代から50代の女性と交際し、生活費を渡していた。多数の女性と付き合いたいという願望が強く「たくさん性交渉をしたかった」とも供述。愛人らに3人の子供を産ませているという。また検察側は、被告が90年から計約19億円を横領し「組合員を愛人の手当を出してくれるスポンサーと思い、罪悪感はなかった」と供述したことを明らかに。17人の愛人の2人がそれぞれ2億円以上を受け取ったと指摘した。」

刑法の253条をご覧下さい。

第253条〔業務上横領〕

「業務上自己の占有する他人の物を横領した者は,10年以下の懲役に処する。」

ここにどうしても自分の欲望が社会に抑えつけられることの意味が理解できない人がいたとしましょう。

彼は刑法の業務上横領罪の項目を開きます。

すると日本の刑法では「業務上横領をしたら最高で10年は入ってもらう」と書いてあります。

ここで行為予定者の決意が固く、「よし、最高で10年入るつもりなら刑事上はどんどん横領していいんだな」と解釈されてしまったら国の安寧はどうなるのでしょう。

民事上も、使ってしまって、手元にないお金は返しようがありません。

もしそうした意識を持つ人達が社会科学上想定される割合を超えて増えてきた場合、刑法はその意味を徐々に失っていきます。

現実に経済の不安から犯罪が絶えず、刑務所の定員が数倍にふくれあがり、外と内どちらが刑務所なのかわからなくなってしまっている国もあります。

腹をくくった欲望に忠実な人に対しては、刑を重罰化することでは予防効果を期待することはできないということになるのです。

かつてカントは法は個人の道徳に干渉することは許されないと考えました。

つぎにカントの思想から絶対性を排除したのがフォイエルバッハであり、合理主義的な一般予防を中心とした目的刑論を展開しました。

フォイエルバッハは「残虐な刑罰による威嚇は許されないが、犯罪より多少多めの害悪を刑として刑法に書いておくことで、人はより合理的判断をするだろう」という罪刑法定主義の萌芽を芽吹かせました。

現在の私たちの使っている刑法も、この罪刑法定主義が大原則であり、そのことはつまり日本においても罪と罰の関係性は、人間は”考えられる生き物”だという点を信頼して構築されていることを意味しています(私見)。

問題の本質的解決のためには、自分の欲望を抑制する「社会」とは、誰あろう「自分自身や自分の家族のことである」という点に自力で思い及んでもらう必要があります。

そうでなければ、彼や彼の家族は、彼の観念する社会へは恐ろしくて一歩も出かけられなくなるはずです。


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